まっつの歌詞考察ブログ

気になった歌の歌詞を勝手に考察していきます。あとたまにスピなお話も

藤井風「まつり」について語ってみた!

こんにちは🤚まっつです。

今回紹介するのは

藤井風さんの「まつり」です。

まつり

まつり

  • 藤井 風
  • J-Pop
  • ¥255

私はこの曲を聴いて藤井風さんは5次元、6次元の神様視点の見方で物事を見れてる人だなと思いました。

あと日本の予言書である「日月神示」に書いてある内容とリンクする部分があるなと思いました。

私たちが人間という種族に属しているように、神は神様という種族に属していると考えると特別な存在ではないですよね。

人間や他の生き物だって我を無くせば神になれますよ。

鏡(かがみ)の「が〝我〟」を無くせば

「か み」になったでしょ笑

一休さんみたいな前置きはそろそろ終わりにして歌詞を見ていきましょう笑

 

愛しか感じたくもない

もう何の分け隔てもない

まとめてかかってきなさい

今なら全てを受け入れるか

冒頭からすごい包容力が感じられませんか笑

って何でしょうかね?

私はここのフレーズの最後に書いてあることが、愛じゃないかな?と思いました。

全てを受け入れる

これが心の底からできる人は、きっと自分も相手も許せる人だと思います。すなわち愛せる人なのだと思います。

こう考えると、相手を愛すことは自分を愛すことでもあるし、その逆もまた同じ。

嫌いだなと思っている相手でも、それはいつかの自分であり、誰かの中の自分のなのかもしれません。

ちょっとぶっ飛んでることを言ってしまった😅

 

で一体何が欲しいわけ

誰に勝ちたいわけ

なかなか気づけんよね

何もかも既に持っているのにね

みなさんは何が欲しいですか?

お金、かわいい彼女、かっこいい彼氏、優しい両親、良い車、家、名声・・・

これらのものを手にすることが幸せなのでしょうかね??

確かに幸せかもしれませんが、きっと身体からすり抜けていくような幸せですよ。これらは全て永遠のものでは無く、いつかは無くなってしまう物です。

このすり抜ける快感を欲しい欲しいと感情が湧き起こったら、むしろでしかない。

本当の幸せってのは、自分で作り出せるものだと思います。既に持っているっていうのは、この幸せだと感じられる心のことを言ってんじゃないですかね??

何だって幸せで有難いんですよ。だって私たちは3次元世界に生きている以上、1秒先は何が起こるかわからない無限の並行世界を生きていますからね。

※ちなみに物理学ではシュレディンガーの猫っていう喩え話で、それを言ってます。仏教では一三千世界と言われる。

だから大袈裟な話ですが、1秒後に隕石が落ちてきて死んでるかもしれないという死んだ状態もあるわけですよ。こう考えると1秒1秒呼吸ができてることも奇跡的なことで有難いことなんですよね。

まあこんなこと偉そうに書いてますが、私は車好きなので、かっこよくて速い車欲しい!とか思っちゃいます😅

 

花祭り 夏祭り

何でも好きに選びな

あなたの心の中咲かせな

秋祭り 冬休み

その閉じた心 今こじ開けな

あっけーな

ラッセーラ

春のところを花祭りにしてたり、冬休みは寒さを表現するために冬休みにしてたりお洒落な歌詞だな〜と思いました。

「あなたの心の中に咲かせな、その閉じた心 こじ開けな」

ここなんかはチャクラを開いていけ!というようなメッセージを私は感じましたね。

ラッセーラ」は猫ひろしを思い出しましたね🤣

 

祭り 祭り

毎日愛しき何かの

祭り 祭り

あれもこれもが大当たり

比べるものは何もない

勝ちや負けとか一切ない

ない ない

祭りって勝ちとか負けとかなくて、みんな楽しい状態で、弥栄(いやさか)って感じですよね。平和で素敵だなあ、、、

世界中毎日お祭りした方がいいわ。本当に。

 

僕が激しく泣いたせいで

君が派手に笑ったせいで

夏の暑さ身体焦がして

冬の厳しさ骨身に沁みた

ここでは何かに偏るのは良くないということを表現してるのではないかと思いました。

四季の中で、暖かく過ごしやすい春と涼しく過ごしやすい秋はちょうど良いバランスの取れた季節ですが、このフレーズに使われている夏と冬は対照的な季節です。

また「激しく泣いた」「派手に笑った」「身体を焦すほどの暑さ」「骨身に沁みるような厳しさ」といったように、とても強調されるような表現をあえて使っているように思えました。

次の歌詞に出てくる「真っ平らに生きれたら」に繋がってくるように思いました。

 

真っ平らに生きられたら

真っ直ぐにそこへ行けたかな

っしゃ今なら遅くはねーから

っしゃ っしゃ っしゃ っしゃ

「真っ平らに生きる」というのは、善も悪にも偏らず、その真ん中をありのままに観て生きることじゃないですかね??

善を作るから悪が生まれるのであって、存在というものは、相反するものがあって成り立つものです。男性や女性もそう。男って存在があるが故に女がいて、片方が無くなるともう片方も意味を持てなくなる。

こういった相反するものは、コインの表と裏でと同じように交わることはないけど、片方が在る瞬間もう片方も在ってしまうというものです。

※物理学では量子のエンタングルメントで説明されている。

だからこのコインの片面だけを見るのではなく、コインそのものを観れる心を磨けば、何でも受け入れられるのではないでしょうか。

つまり善を見ても悪を見ても「そうゆうものだよね」と片方に偏りすぎない心を鍛えていけば安楽に暮らしていけるのではないでしょうか。

また自分がコインの表側だと思ってる方が、他人から見たら裏側なのかもしれないという考えも必要だと思います。

歌詞にあるように今からでは遅くないですし、この考え方を腑に落とせなくても、良いと思うことも悪いと思うことも、毎回ありのままを観る、つまり感情を伴わせず客観視する練習をしていくことが、ここのフレーズの「そこ」つまり「愛せる人」になるための1つの練習法ではないでしょうかね。

 

花祭り 夏祭り

生まれゆくもの死にゆくもの

全ては同時の出来事

秋祭り 冬休み

みな抱きしめたら踊りなさいな さいな

確かに誰かの誕生日は誰かの命日で、私たちの身体の中の細胞一つ一つも生まれては死んでの繰り返しが同時に起こっていて、点滅している様な状態です。

そして生まれた瞬間に死というものが付き纏います。さっきのコインの表と裏の喩えと同じです。

コインの表を生まれた瞬間として、裏を死とします。そうしてコインの厚みを時間の流れとします。コインを表側から見て、厚み分の時間を体感していくのが普通ですが、先程のコインそのものを観るという見方をすると、誕生も死も同時起きていると観ることができます。

時間ほど決まっている様で、曖昧なものは無いです。だって楽しい時間は早くすぎるし、辛い時間は長いでしょ。でもそれは「そう感じてるだけでしょ!」っていうツッコミが来そうですが、本来の真空側から見ると時間も空間もないんですよ。

おっと、話が逸れてしまいました😅

 

祭り 祭り

毎日愛しき何かの

祭り 祭り

あれもこれもが有り難し

苦しむことは何もない

肩を落とすこた一切ない

ない ない

好きにしてください

何も知ったこちゃっない

何せよめでたい

「あれもこれもが有り難し」

本当そうだと思います。先程述べた様に1秒先には無限の並行世界が広がっていますからね。朝起きて生きていられたということも奇跡だ!比較とジャッジを自分にも他人にもやめれば、歌っているように苦しむことも肩を落とすことも一切ありませんよね。比較とジャッジは反射的に出てきてしまうことが多いと思うので、出てきてしまっても「あ〜、ダメだ」と思わず、出てきたときに負の感情をできるだけ伴わせず、ただありのままを認識することが比較&ジャッジ撲滅の鍛錬になると思いますね。私も日々取り組んでおります。

 

藤井風さんの歌詞はチャクラ開いてる感じの内容がたくさん詰まってると思います😊

最後まで読んでいただきありがとうございました!

そんなあなたに幸あれ✨

 

 

 

UVERworld「ピグマリオン」について語ってみた!

こんにちは✋まっつです。

今回はUVERworldの「ピグマリオン」について語ってみたいと思います。

この曲名の「ピグマリオン」という言葉の意味を調べてみました。ギリシャ神話に登場する人物みたいです。この人物に由来するピグマリオン効果とかピグマリオンコンプレックスとか、いろいろあるみたいですが、この曲の歌詞から考えると、「ピグマリオン症」という言葉の意味が最も当てはまりそうです。私はそう感じました。

この「ピグマリオン症」というのは、

自分の説や価値観が正しいと信じ込み、事実よりも優先する症状

だそうです。

つまり自分の価値観のみで物事を捉えるということですかね?でもこれってよくあることですよね。会話の中で「ふつうはこうするでしょ」というセリフはしばしば聞きます。私自身も使ってしまいます笑。この「ふつう」っていう言葉は、とても曖昧だと思います。大勢の人が「ふつう」だと思うことが「ふつう」という風に思われがちだけど、その「ふつう」をふつうだと思わない人がいたら、その人にとっては「ふつう」では無いのです。今回紹介する「ピグマリオン」という曲は、こういう客観的かつ多視点的な解釈の必要性を語りかけている曲だなと、私は感じました。

 

それでは歌詞をみていきます😊

大切なことを考えてるとき

傍から見れば ボケっとしているだけに見えるかも

君を脅かして 飛んでいったあの虫は

寧ろ君を バケモノだと恐れていたのかも

自分は今考え事をしているから、周りからも考え事をしているように見えてるだろう。また虫にびっくりして驚いた自分から見ると、飛んでいった虫は自分を脅かした存在としか感じないでしょう。

これはまさに「ピグマリオン症」的な考え方です。

ぼーっとしている自分がいる場所の隣にもう1人の自分を召喚してみて、考え事をしている自分を眺めてみると、つまり客観視してみると、確かにぼーっとしてるだけに見えるかもしれません。

また飛んでいった虫の立場になって考えてみると、人間は虫のサイズの何倍もの大きさがあり、手で払われたり、足で踏み潰されたりしたら一撃で死んでしまうような驚異的な存在なわけです。私たち人間からすれば進撃の巨人のような存在です。そりゃあ恐ろしいですよね。そう考えると虫からしたら「やべぇ死ぬかも」という人間が驚いたことよりも、もっと大きな恐怖を感じているかもしれませんよね。

冒頭の歌詞では、相手の立場から見ると、自分は自分が思い描いているような自分とは、違う観え方をしているかもしれないということを喩え話で気づかせてくれていると思います。

 

相手の気持ちは分からない

抱きしめもせずに分かるはずがない

そりゃあ相手の気持ちはわからないですよ笑

だってその人自身ではないのですから。

 

泣いている間だけでも良いから

抱きしめてあげて欲しい それだけだったんじゃ無い

泣いている間だけでも良いから

離さないであげて それで愛し方を知るから

サビの部分ですが、「それだけだったんじゃ無い」ってところの「無い」がわざわざ漢字で書かれているのに意味があるのかなと思いました。曲で聞くと「〜だけだったんじゃない?」と話し言葉でよく使われるフレーズの意味だなと思ってました笑。この「ない?」の部分が「無い」になるだけで、全然意味が変わってきます。ここは日本語の難しさでありますが、このように言葉を音だけで見ると、いろんな表現が含まれており、それは受け取り手次第なのだなと、日本語の変幻自在さ、素晴らしさに気付かされました。次の歌詞の「離さないであげて」の部分も音で見てみると「話さないであげて」とも訳せます。この2つの意味を私なりに融合してみると、何も言わずただ寄り添ってあげている状態が浮かんできました。その人の気持ちはわからないし、わかられたくもないと思ってるかもしれない。でも何も言わずただ寄り添ってあげるだけの愛し方、接し方もあるのだよと。

 

憧れた人が 自ら命を絶った

あの人になれたら 幸せだけだと疑いもしなかった

誰があの国の偉い人になっても

どうしようもなくなって 核で脅すのかもしれない

そこに立たなきゃ分からない

悲しみも 痛みも 感じ方も 違うから

芸能人とか見て、かっこよくてモテモテだろうな〜、お金持ちで何も不自由してないんだろうな〜、なんて思うかもしれないですけど、それはそういうふうに勝手に見てるだけで、本人自身の心の状態なんてわからないですからね。ここで歌われてるように、その人の立場に立ってみないと分かるはずありません。もっと言ってしまえば、人それぞれの価値観やストレス耐性があることを考えると、同じ立場に立ったとしても、その人の本当の気持ちはわからないと思います。

 

付けられた傷は跡が残った

キャンパスは白に戻らなかった

君は変わった あの頃の方が好きだった

そう思った時は だいたい変わってたのは自分もだった

「付けられた傷は跡が残った」「キャンパスは白に戻らなかった」この2つの部分は、生きていく過程で作られた価値観のことを表現していると私は感じました。この価値観ってのは、心のキャンパスみたいなものだと思います。私たちはオギャーと産まれて赤子のうちは、お腹空いたり、眠かったり、オムツを変えて欲しかったりしたら「泣く」なんだかわからないけど楽しい時は「笑う」それは素直そのもので概念や価値観はほぼ無いように感じられます。だから本来は悪い人間なんて居ないんだと思います。しかし人間はいろんな体験をすることで、この価値観や概念というものが作られていきます。つまり心のキャンパスは傷つけられたり、色がついたりして歪んで現象を捉える事になります。現象や出来事というのは普遍的なもので、その現象、出来事が自分の傷や色のついたキャンパスに描かれる事で、その絵が良いか悪いか中立かを判断しています。生まれてきた環境、性格などが入り乱れて作られるキャンパスなので、当然人それぞれに違うキャンパスを持っています。つまりどう感じるかは人それぞれです。また、ここで歌われているように、以前好きだったものに興味が湧かなくなったりした時って「昔はよかったのになあ」と相手が変わったと思いがちですが、それって実は、自分自身の価値観が変わっただけっていう場合もあるよね、という客観的な視点で物事を見よう。というメッセージが込められていると感じました。

 

忘れずに居たいよ

友の言葉を

越えてきた夜を

これからの景色を

誰しもが誰かの大切な人ってこと

 

それだけを

それだけは

最後の部分です。

パンチラインはここだと思います。

誰しもが誰かの大切な人ってこと

確かにいろんな立場から観ることができればこう思えるかもしれませんね。

全ては尊いものだと思います。

もちろん「こんなのただの綺麗事だよ」と思う人も居ると思います。それはそれで良いと思います。でもこうやって相手の立場になって考えてみると、自分勝手な行動を取らずに利他の心で行動できるのではないでしょうか。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました😊

 

 

 

藤井風「帰ろう」について語ってみた!

こんにちはまっつです🤚

今回ご紹介する曲は藤井風さんの「帰ろう」です。

帰ろう

帰ろう

  • 藤井 風
  • J-Pop
  • ¥255

藤井風さんはピアノの超絶テクニックシャンの爽やかイケメンです。

年齢は20代前半なのに、実年齢以上長く生きてきたような貫禄が滲み出ていて、かと思いきや笑った表情は子供みたいに無邪気な笑顔で素敵な方だと感じました。

私も次はこんな顔に生まれて来たいもんですわ笑

 

さて歌詞を見ていきましょう。

 

あなたは夕日に溶けて

わたしは夜明けに消えて

もう二度と交わらないのなら

それが運命だね

夕日や夜明けとか静かな感じでゆったり落ち着いてどこか寂しさを感じる様な言葉をつかって「別れ」を表現していると感じました。

 

あなたは灯ともして

わたしは光もとめて

怖くはない失うものなどない

最初から何も持ってない

初めの歌詞で別れを表現されていてこの別れを「死」と仮定すると、あなたがともしている「灯」ってのは、仏壇の蝋燭の火やお線香なのかなと感じました。

一方わたしの方の「光」は、どうでしょうか。臨死体験者が「光に導かれる」といった様な表現をされることを見たことがあります。だからこのわたしの方は死を迎えた人で、あなたの方がまだ生きている人なのかなと思いました。死ぬ間際にお金や自分が持っている物って、きっとあの世には持っていけないですよね。実はあの世の方がリアルな世界で、この私たちが生きているそして感じている3次元世界が次元の低い世界だとすると、確かにお金や物なんて幻なのかもしれませんね。失うもなどない、てか最初から持ってもいないってところから私は感じました。お釈迦様はあの世もこの世も全て幻で何にも無くて全てある状態と語られております。お釈迦様はこのことに気づいたと思うと本当に素晴らしいです。

 

それじゃ それじゃ またね

少年の瞳は汚れ

5時の鐘は鳴り響けども もう聞こえない

それじゃ それじゃ まるで

全部終わったみたいだね

大間違い 先は長い 忘れないから

歳を重ねるにつれて理不尽なことに触れていき、純粋な気持ちが薄れていくということを少年の瞳や5時の鐘が聞こえないという言葉を使って表しているのかなと思いました。

社会は理不尽と感じて諦めて、人に迷惑かけようが自分が楽しければいいやとか思って生きている人たちは大間違いで、死んだ後のあの世の方が本当の世界であれば、やってきたことは全部明かされてその精算はあるはずです。もちろんその精算が今生に起こるかもしれないし、あの世で行われるかもしれないし、生まれ変わりの世界で行われるのかはわかりませんが。自業自得。カルマってやつです先は長い、忘れないってところは、こんな感じを表現しているのかなって私は感じました。

 

さてサビキマシタ

ああ 全て忘れて帰ろう

ああ 全て流して帰ろう

あの傷は疼けど この渇きは癒えねど

もうどうでもいいの吹き飛ばそう

さわやかな風と帰ろう

やさしく降る雨と帰ろう

憎み合いの果てに何が生まれるの

わたし、わたしが先に忘れよう

最初のサビでは苦しみの消し方について語られていると思います。

欲望(渇き)はもちろんのこと、誰かに何かされて負ったこころの傷でさえも、実は自分自身が作り出している物です。例えば相手から嫌な言葉浴びせされたりしても自分自身が反応して嫌な気持ちになるかどうかですからね。だからこそ人にかける言葉ってよく考えて大切にしないといけないと思います。こんなこと書いてるけど、私自身もまだ修行が足りていないので少し指摘されたくらいで嫌な気持ちになって、よく反芻を起こしてます。

憎み合いの果てはありません。憎しみが倍増していくだけです。この苦しみの連鎖を断ち切るには、苦しみは自分自身が作り出しているという原理を突き止めて相手を許してあげるってことだと思います。でも藤井風さんは謙虚で「許す」って言葉はおこがましいと感じて「忘れる」という言葉を使って表現したのではないのかなと思いました。

 

あなたは弱音を吐いて

わたしは未練こぼして

最後くらい神様でいさせて

だって これじゃ人間だ

わたしのいない世界を

上から眺めていても

何一つ 変わらず回るから

少し背中が軽くなった

ここの歌詞からも死ぬ側と残される側を感じ取れると思います。

 

それじゃ それじゃ またね

国道沿い前で別れ

続く町の喧騒 後目に一人行く

ください ください ばっかで

何もあげられなかったね

生きてきた 意味なんて わからないまま

生きている意味がわからずに、この世だけが全てだと思っている人たちの欲望のことを歌っていると思います。まあ、少しぐらいの欲望は生命を維持する上ではもちろん必要なことだと思いますが、苦しみのを生むような過剰な欲望は不要ですね。じゃあ、生きている意味ってなんなん??ってなりますよね笑。それはわたしのもう一つのブログの方を見てみてください。まっつの如来への道

 

最後です!

ああ 全て与えて帰ろう

ああ 何も持たずに帰ろう

与えられるものこそ 与えられたもの

ありがとう、って胸をはろう

待ってるからさ、もう帰ろう

幸せ絶えぬ場所、帰ろう

去り際の時に 何が持っていけるの

一つ一つ 荷物 手放そう

憎み合いの果てに何が生まれるの

わたし、わたしが先に 忘れよう

あぁ 今日からどう生きていこう

最後のサビでは初めのサビで説かれた苦しみの連鎖から逆に学んで、幸せの連鎖を歌っていると思います。憎しみが憎しみを生んで倍増するなら、逆にされたらいいことすればいんじゃね笑って感じで。

与えられるものこそ 与えられたもの ありがとう、って胸をはろう

この歌で特に素敵だなと思った部分です。

与えられる、何かしてあげたくなる利他的なこころ自体が与えられたものだと思っていて素敵だなと思います。

幸せ絶えぬ場所」はこのような利他的なこころの持ち主がいる場所、またそのこころに触れて変われる人たちがいる場所のことなんでしょうね。

最後は歌を聴いてる人に問いかけるようなセリフで終わっています。

この歌は歌詞からだけでも優しさ溢れておりますが、メロディー自体も心地よく、優しさに包まれているような感じがするので、こころがあったかくなって不安が溶けて涙と一緒に出るような歌だと思います。

YouTubeのリンク貼っておいたので是非皆さんも聴いてみてください。

https://youtu.be/goU1Ei8I8uk

最後まで読んでくれてありがとうございました✨

 

 

 

 

UVERworld「7日目の決意」について語ってみた!

こんにちはまっつです✋

今回はUVERworldの「7日目の決意」について語っていきたいと思います。

なんとこの曲はTAKUYA♾が夢の中で聴いたメロディと歌詞がもとに作られた、なんとロマンテックな!と思ってしまうような曲です。

7日目の決意

7日目の決意

さてさて歌詞見ていきましょう!

君は冬の夢を見て鳴く蝉

もしこの願いが叶うと知ったら7日目を生きたのかい?

悲しみだけなんて忘れることなんて出来ないから

今は全て忘れても良いよ いつかまた大事な事だけを思い出せば良い

この冬の夢を見て鳴く蝉」ってところは、人からは「ありえないでしょ!」と思われる夢だったり、目標だったりに向かって日々生きている人を素敵なフレーズで比喩していると思います。

「いつかまた大事な事だけ思い出せば良いよ」という部分は、UVERworldの優しさ溢れてますよね。うん、温かい♨️

 

7日で世界を想像した神と

地震の1週間前に座礁して行くイルカの群れと

週末の東京駅 毎週泣いているあの子との7日目とじゃ

どれが一番長いかな?

ここは時間の曖昧さを色んな7日間を例に出して伝えているように思います。

時間って絶対普遍なものと思われがちですが、こんな曖昧なものないんですよ。

だって人によって感じ方が違うものですからね。

哀しみはきっと」の歌詞の中にも出てきてましたけど、楽しい時間は速く過ぎ去るし、辛い時間は長いですからね。

 

戦争で左手を失った祖父に

死ぬ以上の悲しみがこの世に在ったか?と問えば

あると言えばあったな ないと言えば無いがな

全てはお前次第

私はTAKUYA♾はおじいちゃん子なんじゃないかなって思ってます。

おじいちゃんのことを歌ってる「モノクローム 気付かなかったdevotion」もありますし、「enough-1」の歌詞の中では、TAKUYA♾がおじいちゃんになった立場で語っている部分があります。

TAKUYA♾のおじいちゃんは、現象に対して良いか悪いかを決めるのは自分次第、幸せになるのも不幸に思うのも自分次第ということを伝えてくれたのでしょうね。

でもこれってやっぱりポジティブな考え方を信じ切って自分に思い込ませる強さがないと難しいですよね。でもこれめげずに毎回やることが大事だと思います。一緒に頑張りましょうぜ!

 

10代最後の日に あと一年頑張って何も変わらなかったら

もう人生ごと終わらせようと思ってた 

でもそれも出来なかった

きっと本当の死ぬ気の覚悟も知らずに生きていた

実際、死ねなかったから死ぬ気で頑張れてなかったじゃんってことですかね。

逆に夢に敗れて「死んじゃえ!」って死んじゃった人は、死ぬ気で頑張っていたのかもしれませんね。まあ自分自身に勝てなかっただけかもしれませんが。

 

君は冬の夢を見て鳴く蝉

明日こそ願いが叶うことを信じて7日目を生き抜くんだね

なあ僕達もそんな生き方していたいよな?

明日からでもなく 何かの記念日でもなく どうしようもなく涙が出てしまった今日から変わって行けば良い

サビでごわす!

無理だと思われてても、自分自身もどこかで無理かと思ってても自分を信じて生きていく人は、カッコいい!って言ってるように思います。

思い立ったが吉日、そんな生き方しよーぜ!って優しく伝えてくれるそんな部分だと思います。

 

いつも甘えた家庭に包まれて

友達が100人いて 恋人が何十人いたって

満足できない人もいて 自らある種の地獄へ向かっていく

でも僕は違う 家族にも憧れ抱いたままでも まだ上手く友達も作れに 恋愛に臆病なままでも

前を向いて生きている 幸せを感じている

全ては自分次第

私ここの歌詞大好きです。

この歌詞見てると不幸な人って心が貧乏なんだなって思います。

人と比べずどんな状況だって幸せを見つけられる豊かな心を持っている人が、幸せな人だなと思います。

 

もう今日から死ぬ以上の悲しみは無いと思って生きていくよ

ならもう何も怖くない誰がどう言おうと構わない

諦める必要もない 強く生き抜くよ

これはTAKUYA♾の決意ですね。

この曲の名前の答えですかね。

 

君は冬の夢を見てなく蝉

悲しくなんてないよ 一番大切なことは叶うとか叶わないじゃない

欲しかった物は 此処に無い未来や過去じゃなく

その気持ちを失った時に 僕が僕じゃなくなってしまう、、、

そう思える生き方を

夢が叶わなくたって、その夢に向かって生き続けられる心が自分自身であり、それを大切にしろ!それができなくなったら死ぬことと同じなんだなって思いました。

大袈裟かな笑

 

嬉しくて泣いてる人も 悲しくて笑ってる人にも

スローライフでゆっくり歩いても 充実感に過ぎる時を忘れていても

 

いつかきっと 僕も君も居なくなってしまう例外なく終わっていく そこにどんな意味があるかなんて分かるはずはない

私たちが生きている意味ってなんだと思います?

その生きている意味を探すために生きているのですよ。

たった一つのね。

 

でも君は冬の夢を見て鳴く蝉

7日目の夜も 夢を願う時だけは少しだけ強くなれたんだね

なあ僕達もそんな生き方したいような

その最後まで忘れたくないよ

夢を願う時 少し強くなれる僕らの日々

生きる原動力となれる夢を見つけられるのは幸運だと思います。

だから私はオタクの人とか羨ましいと思います。オタクの人を馬鹿にしてる人とかいますけど、馬鹿にしてる人にこう問いたいです。あなたには、その馬鹿にしてるオタクほどに没頭できる物はありますかと。

ちなみに私の生きる目的は、この宇宙がなぜ生まれたのか人に説明し納得させることができるようになることです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

そんなあなたに幸あれ✨

 

 

 

 

UVERworld「哀しみはきっと」について語ってみた!

こんにちはまっつです✋

今回はUVERworldの「哀しみはきっと」という曲について語っていきたいと思います。

この曲は2019年に放送されていたTBS系列のドラマ「小公女セイラ」の主題歌となっていた曲です。

哀しみはきっと

哀しみはきっと

 

歌詞を見ていきます!

心だけは捨てないよ

これが終わりだとしても

誰にも思い出とか希望は奪えない

ここでいう「心」っていう言葉はどんな意味が込められているのでしょうかね??

「これが終わりだとしても」って自分が思う最悪の結末でも「自分(心)を見失わないように」って私には伝わりました。

 

手を重ねた時の温もりをイメージして

辛い時ほどほら 笑ってみせるよ

辛い時ほど強くみせるって本当に強くて優しい人しかできないですよね、

私はどちらかと言うと可哀想でしょアピール全開で、悲劇のヒロイン系に走ってしまいます笑

 

いつも僕は嫌な事一つで 良かった事全部忘れてしまいそうになるけど

少しずつ強くもなって 想いを 想いを

私的にここのフレーズはまさにそうですわ!ってかんじです。

嫌な事一つで全部ダメだあ、と思ってしまう典型的完璧主義思考!これ曲者なんですよね〜

 

立てない程の哀しみが 僕を選んだとしても誰かがこの運命のクジを背負うなら

僕は避けて生きるだけの人になりたくない

辛いのはわかってるけど

明日笑えるように

サビキマシタ!!

立てない程の哀しみなんて想像したくありませんよね💦

TAKUYA♾達はここですげぇこと歌ってますよ笑

誰かがこの立てなくなるような哀しみを受けてしまうなら逃げずに立ち向かうという優しく強い気持ちがひしひしと伝わってきます。

立てない程の哀しみでなくても、この現代の社会で生きる限りみんながやりたくない事はたくさんあるし、その役を担わないといけない人が必要なわけで、その役を自分が買って出れば辛いけど、人に押し付けてしまえば、その人は辛いと感じるかもしれないし、感じないかもしれないけど、少なくとも押し付けた自分が辛いと思う役目ならばその人は罪悪感を感じてしまうと思います。(※相手の気持ちをわかろうとする人なら)

だから大袈裟だけど、この「立てなくなる程の運命」を人に押し付けてしまえば、この罪悪感がある故に心の底からよかった!と思えないと思います。つまりこの歌詞の言葉を借りると明日笑えないということ、

だから実は相手を思いやることは自分を思いやることでもあるってことなんだな!と感じました。

 

運命のこよりは 巡るゲームのように

振られたサイにほら 人は当てられた運命(みち)辿っていく

この目に映る全ての物は 奪われたら無くしたりするけど

君がくれた言葉だけは 誰にも奪えない

「運命は決まってる」と言っているように思える歌詞ですが、たとえ運命で決まっていることが起こったとしても、考え方次第で幸か不幸かは自分次第だと思います。

UVERworldの他の楽曲であるCORE PRIDEの歌詞の中に

もうどうなったって良い 格好悪くたっていい

死にものぐるいで未来を変えてやる

どうしたって変えれない運命だといわれても

まだ俺は変われる

自分で変えてみせる

と言ったフレーズがあります。

この部分私大好きなのですが、運命、その現象自体は変えられなかったとしても、その現象を解釈する自分自身は変えられる!全ては自分次第!ということです。

おっと少し脱線してしまいました💦

次行きます!

 

何も見えない暗闇の愛が消えた夜には

眠りにつく前に君を思い出す

明日君と一緒にみた 雲を探しに行こう

無理なのもわかってるけど 

今日よりちょっとは進むために

無理なのもわかってるけど、ってところなんかUVERworldらしさを感じます。

1日1ミリでもいいし、時にはマイナス1ミリの日もあっても自分という人生が終わるまでに、今より進めていればいいんじゃないかなと思いたいです。そう強く思えるこころでありたいです。

 

素敵なものにでも どんなに辛くても

いちいち憂いていられない時代で

楽は直ぐ過ぎ去り 辛い時の方が永く

感じる嫌な相対性理論の中で過ごす

時間って平等に与えられているようで、実はとても曖昧なものなんですよね、だって人によって感じ方違うし、その時間はその人にしか体感できないし、いま目の前に見えている映像も光の速さが有限であるがために、視覚では過去しかとらえることはできていませんからね。

 

空を眺め ゆっくりと浮かぶ はぐれ雲を見て

いつかの僕みたいだね 君の声探してる

サヨナラは言わないことにしよう これが終わりだとしても

自分でさえ希望とか心とかって奪えない

一日が終わり眠る前に 明日会えるかな

とか無理なのもわかってるけど 愛の住む心のど真ん中は誰にも奪えないから

明日笑って迎えるために

愛ってなんでしょうね。私はこの歌詞を見てこう思いました。

他人を本当の自分のことと同じように思えて行動できること、

同じように思えてっていうか本当は同じなんですけどね。

だから自分を愛すことは相手を愛すことでもあり、その逆もまた同じだと思います。

自分を可愛がるのと相手にしてあげた事に対して見返りを求めてしまうのは、愛するとは言えません。

 

ふわふわ はぐれ雲をが僕の憂鬱とともに流れていく

同じ雲に また誰かが「自分みたい、、、」って重ねるのだろう

この歌詞の中の「僕」が重ね合わせた雲がまたどこかの別の人がその雲を自分みたいと重ね合わせるという情景から、この曲を聴いている人達に君と同じように思っている人もいるよ、1人じゃないよと優しいメッセージを伝えてくれているのかなと感じました。

 

この曲はなんか健気にがんばっている人を優しく励ましてくれるような歌でとても好きです。私も寂しいけど前向きになりたい時によく聞きます。

最後まで読んでいただきありがとうございます。そんなあなたに幸あれ✨

 

 

 

 

UVERworld「0 choir」について語ってみた

こんにちはまっつです。

今回はUVERworldの「0 choir」について語ってみたいと思います。

 

0 choir

0 choir

 

この曲は2014年に発売されたアルバム

「0 choir」に収録されていて、曲順は最後になっております。

 

 

またこのアルバム発売の2014年に

誠果(SEIKA)が正式にメンバーとして

公表されました。

 

 

実はこの誠果(SEIKA)さんという人物は、UVERworldがメジャーデビューする前の「SOUND極ROAD」時代からのメンバーなのです!

 

 

今ではサックスをメインで担当されていますが、実はマニュピレーター(楽器以外の電子的音を作り出す人)としてずーっとメンバーを支えてきた人なんです。

 

 

ちなみにこのアルバム名の「choir」の和訳は「聖歌隊、合唱団」です。

聖歌(SEIKA)と誠果(SEIKA)で掛けているのかもしれませんね!

 

 

さて歌詞を見ていきましょう!

 

 

ねぇ Baby この世界は汚れて見えるけど

でもね Baby 愛すことは怖いことじゃないよ

 

 

TAKUYA∞はこの歌を聴いている人たちを「Baby」と呼んで、まるで神様が諭す様に僕らに語りかけています。

TAKUYA∞が言うように、この世は「正直者が馬鹿を見る世界」と感じる場面は多いです。

でもそんな世界でも、愛す(相手の為を思う)ことをやめないで、、と励ましてくれている感じがします。

 

 

ねぇ?普通って場所はここから何光年先の場所なんだい?
リンゴの皮を剥くように 心さらけ出したい
人の幸せは 人の 不幸の上 成り立つって?
僕がこのプリンを食べたら 死者でも出るのかい?

 

 

私はこの「普通って場所はここから何光年先の場所なんだい?」ってとこの歌詞は、この世間を皮肉って歌ってる様に感じ取れます。 

 

 

世間は理不尽なことばかりで溢れていて、みなが平等と感じられるときは、いつ来るのだろうか?って感じでね笑笑

 

 

こんな理不尽だらけの世間だと、

立場とか地位を考えると、ありのままの自分の気持ち(こころ)を伝えるのは、むづかしいものです。

 

 

リンゴを心に見立てて、素直な気持ちは皮で包んで隠しているけど、リンゴの皮を剥いたみたいに、みんながこころをさらけ出せる世の中になればいいのに!と言う願いが込められている様に感じました。

 

 

また「人の幸せは人の上に成り立つって?」ってところの歌詞は

ロシア人作家のトルストイ

人の不幸の上に自分の幸せを作らない
他人の幸せの中にこそ自分の幸せもあるのだ

と言う名言からきていると思われます。

あまーいプリンを食べられる幸せを例えに使い、TAKUYA∞はこの名言をオシャレに肯定しているんでしょうね!

 

 

i like it Baby ねぇ何もしてあげれなくて

ゴメン

そう言って泣く君から今素敵なものもらえたよ

僕らは美しいものばかり探すくせに隣にいてくれる人の美しさに気付けない

世間にとっての僕や どの時代の総理にも

代わりはいる

でもそれぞれの大切な人の代わりはいない

 

ここの「素敵なもの」ってのは、相手を想う気持ちのことで、何か自分の利益になることをしてくれたとかじゃなくて、自分のこと気にかけてくれる気持ちの方が大切なんだよと、

結果が全てじゃないっていうTAKUYA∞らしさを感じ取れる部分ですね。

 

この歌詞の通りに家族とか親しい友達とか、関係が近ければ近いほどありがたさって、気付きづらいんですよね。

 

「それぞれの大切な人の代わりはいない」

 

私はこの歌詞を聞いて、いつもご飯作ってくれる親とかパートナーにありがとうを伝えよう!と思いました😊

 

 

人生が100年だったとして

70億人なら1人1秒づつ出逢ったて

全員には出会えない

まずいな1秒どころか この先何10年も

君に捧げるつもりだから

もっと出会い大事にしておこう

 

1秒に1回知らない人と出逢ったとしても世界中の人に出逢えないなんて、

こんなこと考えたことなかったです笑

またUVERworldはこの先何10年も私たちに捧げてくれるらしいです笑笑 ちがうか🤣

でもそんな風に私は聞こえちゃいましたね笑

世界中の全員に出逢えるほど時間は無いからもっと出逢い大切にしていきましょう。

敵も味方も!

 

 

i like it Baby 愛が憎しみに変わって行くなら

僕を憎んだあの人は愛してもくれた人かもな

人はしてもらえたことはすぐ忘れがち

してあげたことだけは忘れずに悲しくなり

1人の方がマシだなんてこころに嘘つき

そんなことばっかり言って愛され方忘れないでね

 

愛が憎しみに変わっていくなら、一時は愛してくれたのかも、、、

いや前向きすぎやろ笑 

って思いましたけど、確かに可能性としてはありえますよね😊

何気ここの部分UVERworldっぽい歌詞ですよね。UVERworldの歌なんでぽいもクソもないですけど笑

 

自分がしてあげたことを忘れないのは、そのしてあげたことに対しての見返りを求めてしまっているからです。

だから誰かに何かしてあげるときは、見返りを求めず、自分で自分を褒めれば良いのです笑

あぁ俺いいことしたなって✨

やってきたことは全て返ってきます。

だから良いことをして善根を植えていきましょう🌱

 

 

ねぇBaby誰かが君にリンゴの皮を剥くようにこころを全てさらけ出して 捧げてくれたら ならBaby次は君がリンゴという名の

こころうさぎの形にでもして食べさせてあげればいい

 

ここの歌詞は

誰かが自分(君)のことを信じて心を開いてくれたなら、その信頼を裏切らないように接してあげればいい

ってことが歌われてると感じました。

大袈裟だけど相手が自分にBETしてくれたわけですから、期待は裏切りたくないですよね

 

 

ねぇBaby愛すことは怖いことじゃないけど

失った物も失った人も愛してしまってたから

僕はきっとこの先何百人と過ごそうとも

どこか1人足りないような寂しさは消えないけど

失った物ばっかり数えてちゃいけないけいだろ?

これから出逢る素敵な物もたくさんあるはずだろ?

毎年やり切り年末は幸せで泣くって決めたし

年取っても愛だの夢だの言えそうな仲間できたし

ねぇBabyこの世界はまだ汚れて見えるけどれどやっぱり僕は生まれてこれて幸せだと思ってるよ

ねぇBaby約束しよう世界は素敵だから

まだ死にたくないそう言えるまで僕たちは生きて行こう

 

この3次元世界では形ある物は全ていずれ無くなってしまいます。だからたくさんの別れもあるでしょう、その穴埋めしようとしても、お金でそっくりそのまま買えるものは良いかもしれませんが、それぞれの大切な物、人の代わりはありません。そりゃどれだけの人と過ごそうとも寂しさは消えませんよね。

愛してきた物や人たちが無くなってしまいその穴埋めはできないけど、また違った素敵な物や人に出逢えるんだから元気だせよ!って前向きなメッセージが込められています。

 

まだまだ理不尽ばかりが溢れる世界に見えるけど、素敵な部分にもスポットを当てられるように、そしてそのスポットを増やしていけるように真面目に生きていきましょう。

 

大丈夫です!UVERworldが約束してくれてます。世界は素敵だと✨

 

最後まで読んでいただきありがとうございました😊

 

 

0 choir

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  • 発売日: 2018/07/18
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

 

「ひとつ」kohh

今回はラッパーkohhさんの「ひとつ」と言う作品について語らせていただきます。

ひとつ

ひとつ

  • KOHH
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255

この作品はスピリチュアル用語でいうところの「ワンネス」と「輪廻転生」のことについて触れていると思います。

ワンネスとは

自分も他人も動物も植物も物質も全ては、1つである

という概念のことを言います。

なーにゆうとんの?って感じですが、

全てが1つということは、自分にとっていい人も悪い人も本当はいなくて、誰かに対してやったことは、全て自分に返ってきます。「誰か」って言ってもワンネスの概念だとその誰かも自分の一部なので、自分が自分にしていることになります。

人間の体で考えてみましょう。左手を自分として右手を誰かとします。戦わせて右手を負傷させたとしても痛がるのは、その人間本体ですよねですよね。逆に左手が右手を癒すってことは、自分を癒していることになります。

私はこのワンネスという考え方は四字熟語にある「自業自得」とか「因果応報」に起因しているのではないかと考えています。

輪廻転生とは

簡単に言うと「生まれ変わる」ってことです。

生まれ変わるってことは、生まれ変わらないといけない理由が何かあるんでしょうね。

現象には全て原因が伴いますからね。

 

さて歌詞を見ていきましょう。

愛されてる 愛されてる

愛されてる 愛されてる

泣いている地球 俺らはその一部

みんなでひとつ 喜びの水

ひとつ ひとつ

ひとつ ひとつ

泣いている地球 俺らはその一部」ここのフレーズでワンネスについて説かれているのが感じられます。

なぜ地球は泣いているのでしょうかね?

・人同士が傷付け合っているから?

・利便さを求めて環境を破壊しているから?

解釈は人それぞれでしょうが、私は前者の人同士が傷付け合っていることを言っているのではないかなと感じました。

人々が争い合っている負の感情を地球が泣いていると言うフレーズで比喩しているのではないかなと感じました。

次のフレーズはこちら

俺は人 君は花

全部が自業自得

人間みんな馬鹿

ここの歌詞では、この世は自業自得だから相手にやったことは返ってくるのに、わからずに自分さえ良ければという感情で、相手を傷つけたりしていることを哀れんでいるのが伺えます。

誰かを憎しみ殺しても

すぐ産まれるまた

全員泣きながら

殺してもすぐ産まれるとか、ここはまさに輪廻転生について歌ってると思います。

最後のフレーズはこちら

まだ生きている墓の中

命はいつまでも

なくならない一生

この体じゃなくても

どっかにいる いつまでも

俺たちが選ばれた

ありがたや ありがたや

体という物体が無くても魂、意識、エネルギーとしては生きていると言ってます。こうやって考えると幽霊も居ておかしくないですよね笑

kohhさんはこの体という物質を使い人生を経験できていることにありがたみを感じているみたいですね。

また歌詞で選ばれたってフレーズがありますが、この3次元世界に体を持って生まれ変われるのにも順番があるって感じているのでしょうかね?

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

あなたに幸あれ✨

 

 

ひとつ

ひとつ

  • 発売日: 2019/02/09
  • メディア: MP3 ダウンロード