こんにちは🤚まっつです。
今回紹介するのは
藤井風さんの「まつり」です。
私はこの曲を聴いて藤井風さんは5次元、6次元の神様視点の見方で物事を見れてる人だなと思いました。
あと日本の予言書である「日月神示」に書いてある内容とリンクする部分があるなと思いました。
私たちが人間という種族に属しているように、神は神様という種族に属していると考えると特別な存在ではないですよね。
人間や他の生き物だって我を無くせば神になれますよ。
鏡(かがみ)の「が〝我〟」を無くせば
「か み」になったでしょ笑
一休さんみたいな前置きはそろそろ終わりにして歌詞を見ていきましょう笑
愛しか感じたくもない
もう何の分け隔てもない
まとめてかかってきなさい
今なら全てを受け入れるか
冒頭からすごい包容力が感じられませんか笑
愛って何でしょうかね?
私はここのフレーズの最後に書いてあることが、愛じゃないかな?と思いました。
「全てを受け入れる」
これが心の底からできる人は、きっと自分も相手も許せる人だと思います。すなわち愛せる人なのだと思います。
こう考えると、相手を愛すことは自分を愛すことでもあるし、その逆もまた同じ。
嫌いだなと思っている相手でも、それはいつかの自分であり、誰かの中の自分のなのかもしれません。
ちょっとぶっ飛んでることを言ってしまった😅
で一体何が欲しいわけ
誰に勝ちたいわけ
なかなか気づけんよね
何もかも既に持っているのにね
みなさんは何が欲しいですか?
お金、かわいい彼女、かっこいい彼氏、優しい両親、良い車、家、名声・・・
これらのものを手にすることが幸せなのでしょうかね??
確かに幸せかもしれませんが、きっと身体からすり抜けていくような幸せですよ。これらは全て永遠のものでは無く、いつかは無くなってしまう物です。
このすり抜ける快感を欲しい欲しいと感情が湧き起こったら、むしろ毒でしかない。
本当の幸せってのは、自分で作り出せるものだと思います。既に持っているっていうのは、この幸せだと感じられる心のことを言ってんじゃないですかね??
何だって幸せで有難いんですよ。だって私たちは3次元世界に生きている以上、1秒先は何が起こるかわからない無限の並行世界を生きていますからね。
※ちなみに物理学ではシュレディンガーの猫っていう喩え話で、それを言ってます。仏教では一三千世界と言われる。
だから大袈裟な話ですが、1秒後に隕石が落ちてきて死んでるかもしれないという死んだ状態もあるわけですよ。こう考えると1秒1秒呼吸ができてることも奇跡的なことで有難いことなんですよね。
まあこんなこと偉そうに書いてますが、私は車好きなので、かっこよくて速い車欲しい!とか思っちゃいます😅
花祭り 夏祭り
何でも好きに選びな
あなたの心の中咲かせな
秋祭り 冬休み
その閉じた心 今こじ開けな
あっけーな
春のところを花祭りにしてたり、冬休みは寒さを表現するために冬休みにしてたりお洒落な歌詞だな〜と思いました。
「あなたの心の中に咲かせな、その閉じた心 こじ開けな」
ここなんかはチャクラを開いていけ!というようなメッセージを私は感じましたね。
祭り 祭り
毎日愛しき何かの
祭り 祭り
あれもこれもが大当たり
比べるものは何もない
勝ちや負けとか一切ない
ない ない
祭りって勝ちとか負けとかなくて、みんな楽しい状態で、弥栄(いやさか)って感じですよね。平和で素敵だなあ、、、
世界中毎日お祭りした方がいいわ。本当に。
僕が激しく泣いたせいで
君が派手に笑ったせいで
夏の暑さ身体焦がして
冬の厳しさ骨身に沁みた
ここでは何かに偏るのは良くないということを表現してるのではないかと思いました。
四季の中で、暖かく過ごしやすい春と涼しく過ごしやすい秋はちょうど良いバランスの取れた季節ですが、このフレーズに使われている夏と冬は対照的な季節です。
また「激しく泣いた」「派手に笑った」「身体を焦すほどの暑さ」「骨身に沁みるような厳しさ」といったように、とても強調されるような表現をあえて使っているように思えました。
次の歌詞に出てくる「真っ平らに生きれたら」に繋がってくるように思いました。
真っ平らに生きられたら
真っ直ぐにそこへ行けたかな
っしゃ今なら遅くはねーから
っしゃ っしゃ っしゃ っしゃ
「真っ平らに生きる」というのは、善も悪にも偏らず、その真ん中をありのままに観て生きることじゃないですかね??
善を作るから悪が生まれるのであって、存在というものは、相反するものがあって成り立つものです。男性や女性もそう。男って存在があるが故に女がいて、片方が無くなるともう片方も意味を持てなくなる。
こういった相反するものは、コインの表と裏でと同じように交わることはないけど、片方が在る瞬間もう片方も在ってしまうというものです。
※物理学では量子のエンタングルメントで説明されている。
だからこのコインの片面だけを見るのではなく、コインそのものを観れる心を磨けば、何でも受け入れられるのではないでしょうか。
つまり善を見ても悪を見ても「そうゆうものだよね」と片方に偏りすぎない心を鍛えていけば安楽に暮らしていけるのではないでしょうか。
また自分がコインの表側だと思ってる方が、他人から見たら裏側なのかもしれないという考えも必要だと思います。
歌詞にあるように今からでは遅くないですし、この考え方を腑に落とせなくても、良いと思うことも悪いと思うことも、毎回ありのままを観る、つまり感情を伴わせず客観視する練習をしていくことが、ここのフレーズの「そこ」つまり「愛せる人」になるための1つの練習法ではないでしょうかね。
花祭り 夏祭り
生まれゆくもの死にゆくもの
全ては同時の出来事
秋祭り 冬休み
みな抱きしめたら踊りなさいな さいな
確かに誰かの誕生日は誰かの命日で、私たちの身体の中の細胞一つ一つも生まれては死んでの繰り返しが同時に起こっていて、点滅している様な状態です。
そして生まれた瞬間に死というものが付き纏います。さっきのコインの表と裏の喩えと同じです。
コインの表を生まれた瞬間として、裏を死とします。そうしてコインの厚みを時間の流れとします。コインを表側から見て、厚み分の時間を体感していくのが普通ですが、先程のコインそのものを観るという見方をすると、誕生も死も同時起きていると観ることができます。
時間ほど決まっている様で、曖昧なものは無いです。だって楽しい時間は早くすぎるし、辛い時間は長いでしょ。でもそれは「そう感じてるだけでしょ!」っていうツッコミが来そうですが、本来の真空側から見ると時間も空間もないんですよ。
おっと、話が逸れてしまいました😅
祭り 祭り
毎日愛しき何かの
祭り 祭り
あれもこれもが有り難し
苦しむことは何もない
肩を落とすこた一切ない
ない ない
好きにしてください
何も知ったこちゃっない
何せよめでたい
「あれもこれもが有り難し」
本当そうだと思います。先程述べた様に1秒先には無限の並行世界が広がっていますからね。朝起きて生きていられたということも奇跡だ!比較とジャッジを自分にも他人にもやめれば、歌っているように苦しむことも肩を落とすことも一切ありませんよね。比較とジャッジは反射的に出てきてしまうことが多いと思うので、出てきてしまっても「あ〜、ダメだ」と思わず、出てきたときに負の感情をできるだけ伴わせず、ただありのままを認識することが比較&ジャッジ撲滅の鍛錬になると思いますね。私も日々取り組んでおります。
藤井風さんの歌詞はチャクラ開いてる感じの内容がたくさん詰まってると思います😊
最後まで読んでいただきありがとうございました!
そんなあなたに幸あれ✨