こんにちは🤚
まっつです。
今回は八十八ヶ所巡礼の「紫光」について語っていきたいと思います!
まずこのバンドを構成しているメンバーを紹介します。
魅力たっぷりなボーカル兼ベースのマーガレット廣井さんと瞳キラキライケメンギターのシミズカズヤさんとマッチョで芝犬フェイスなドラムの賢三さんの3人です。
ちなみにボーカル兼ベースのマーガレット廣井さんはアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」に出てくる廣井きくりというキャラのモデルだそうです。
さて歌詞を見ていきましょう!
しょうもない君の正体は
溢れ出る夢の紙芝居さ
鮮明になった昔々
大勢で泣いた物語さ
仏教の教えの中に「無生法忍」という言葉があります。この言葉の意味は、生きとし生けるもの、また物質なども全ては本来生じていないし、滅してもいないという真理のことです。
ここのフレーズにある通り、私たちは紙芝居のようにパラパラと溢れ出ては消えていくような夢幻のような存在なのです。
なんか悲しい
そんな気持ち
そんなところだけ
先祖返り
悲しい気持ちやネガティブな感情つまりトラウマは「先祖返り」という言葉から世代を超えて影響してくるもので、カルマとして引き継がれることを言っているように感じました。
逆に楽しい気持ちやポジティブな感情、良いことをしたら、それに対してのカルマもできるわけです。
「自業自得」って言葉は悪いことをした時に使われがちですが、自分の業(行い)は自分が得る(返ってくる)という意味ですので逆も然りということです。
やったことが返ってくるということは、自分に対してやっているのと同じことになってしまいますね。
こうやって考えると、あなたの大嫌いなあの人だって、大好きなあの人だって、視覚では他人に見えるけど、実はいつかの自分であるということです。
そう考えると最低限自分がされて嫌なことは相手にしないように心がけられると思います。
その真っ赤な目で恍惚な目で
後悔の海を航海し続けるさ
真っ赤な目は血走った目を想像させ、また恍惚という言葉の意味は「物事に心奪われて、うっとりするさま」というように愛欲や物欲などを満たすことが幸せだと感じている私たちの狂った目のことを言っているのではないでしょうか?
「かわいい、かっこいい人を恋人にしたい」「あれが欲しい、これが欲しい」これらの煩悩を満たすことは、確かに幸せかもしれません。でもこの幸せは身体すり抜ける幸せで、いつまでも留めておくことはできないものです。そしてこれらの幸せを留めておこうとすることにより「執着」が生まれます。そうなると「また欲しい、欲しい」とぶり返したり、「壊れたらどうしよう?」「嫌われたらどうしよう?」と物や人に囚われてしまいます。そうするとこれらの思考は煩悩を生み出す「毒」であるとも言えますよね。
これらの煩悩に囚われている私たちは、後悔の海という地獄を気づかずに何回も転生輪廻しているのかもしれませんね。
用も無い癖に大衆は
勝手に嘘だけ知りたがってる
身勝手なのはお互い様さ
狂信の末にこんなザマさ
夢幻の街 お金の街
そんな街でmajiで待ち惚けさ
その真っ赤な目で
恍惚な目で
後悔の海を航海し続けろ
私たちはお金に支配されている拝金教の世界で暮らしています。お金はただの紙なのに価値があると信じ込んでいるから、信じ込ませられているから、この紙のために争ったり、苦しんだりしています。
本来は食糧と水と火があれば生活していけるんですよね。
これらのものがなくなったら、お金の本当の価値を知ることになると思います。
ここのフレーズでは、「拝金教信者は後悔の海を航海し続けてろ」っていうメッセージなのかなと感じました。
その眼を消しとばしたら
喜びは単純さ
世の眼は馬鹿になったね
わたし紫の光になる
その眼とは、拝金教や身体をすり抜ける偽物の幸せを本当の幸せだと思う心のことを言っているのではないかと思いました。
このフィルター(眼)を外すことが幸せなのかもしれませんね。このフィルターを外し、この世は「無生法忍」であるとさとること、つまり「解脱」して転生輪廻から抜け出すこと、そしてそれを他の人にも教えてあげることが喜びであると思います。
また「紫」という色の意味を調べてみたらこんなことが書いてありました。
煩悩を清める色
「紫の光」とは、正しい見方ができる眼を取り戻すために必要な薬的な存在を表現しているのでしょうかね?
八十八ヶ所巡礼が「紫の光」になるというのは、世間の人々の苦しみを生む真っ赤で恍惚な眼をぶっ飛ばすような楽曲を作り広めるということなのですかね??
さあ 飛ぼうぜ
何処でもいい 誰でもいい
時間の無い場所へ
ぶっ飛ぼうぜ
なんでもいい かんでもいい
気持ちの在る街へ
ぶっ飛ぼうぜ
何処でもいい 誰でもいい
時間が無えからさ
なんでもいい かんでもいい
至高の果てまでさ
外は疑惑の雨さ
時間の無い場所って何処でしょうかね?
私たちが生活している4次元以上の世界のことでしょうか?
この宇宙は11次元構造になっていると物理学では言われており、仏教でも11次元構造でこの宇宙を説明しています。※仏教を読み解くツールとして物理学は存在しているから
気持ちの在る街ってのは、何処でしょうかね?
これは自業自得の原理、カルマを知っている人たちがいる所でしょうかね?
まあ、この原理を知っている人たちしかいなかったら「紫の光」になる必要は無くなってしまうのでは、とも思ってしまいますが、笑
それか「貴様らも真っ赤で恍惚な眼を捨て去って、気持ちの在る街をつくろうぜ!」というメッセージでも在るかもしれませんね。
ぶっ飛ぼうぜ
歌えたらいい 逢えたらいい
時間の無い場所で
ぶっ飛ぼうぜ
与えたらいい 変えたらいい
伝えてないだけさ
ぶっ飛ぼうぜ
歌えたらいい 逢えたらいい
時間が無えからさ
ぶっ飛ぼうぜ
与えたらいい 変えたらいい
紫光の果てまでさ
外は疑惑の雨さ
そんなのどうでも
いいじゃないかってさ
先程のカルマの原理と自業自得の原理を知ればまずは損得勘定抜きに与えて他の人にも気づかせてあげることが大事だと思います。
感謝や見返りを求めて行動してしまうと、苦しみを生むだけなので、他人に何かをしたあげるというより、いつかの自分にしてあげるという感覚で行動するといいと思います。この気持ちに心からなれるようであれば、だいぶ楽に生きられると思います。
だから私たちも「そんなのどうでもいいじゃん♪」と軽やかに思える心を養い、紫光の果てまで仏っ飛んでいきましょう笑
最後まで読んでいただきありがとうございました😊