こんにちはまっつです🤚
今回ご紹介する曲は藤井風さんの「帰ろう」です。
藤井風さんはピアノの超絶テクニックシャンの爽やかイケメンです。
年齢は20代前半なのに、実年齢以上長く生きてきたような貫禄が滲み出ていて、かと思いきや笑った表情は子供みたいに無邪気な笑顔で素敵な方だと感じました。
私も次はこんな顔に生まれて来たいもんですわ笑
さて歌詞を見ていきましょう。
あなたは夕日に溶けて
わたしは夜明けに消えて
もう二度と交わらないのなら
それが運命だね
夕日や夜明けとか静かな感じでゆったり落ち着いてどこか寂しさを感じる様な言葉をつかって「別れ」を表現していると感じました。
あなたは灯ともして
わたしは光もとめて
怖くはない失うものなどない
最初から何も持ってない
初めの歌詞で別れを表現されていてこの別れを「死」と仮定すると、あなたがともしている「灯」ってのは、仏壇の蝋燭の火やお線香なのかなと感じました。
一方わたしの方の「光」は、どうでしょうか。臨死体験者が「光に導かれる」といった様な表現をされることを見たことがあります。だからこのわたしの方は死を迎えた人で、あなたの方がまだ生きている人なのかなと思いました。死ぬ間際にお金や自分が持っている物って、きっとあの世には持っていけないですよね。実はあの世の方がリアルな世界で、この私たちが生きているそして感じている3次元世界が次元の低い世界だとすると、確かにお金や物なんて幻なのかもしれませんね。失うもなどない、てか最初から持ってもいないってところから私は感じました。お釈迦様はあの世もこの世も全て幻で何にも無くて全てある状態と語られております。お釈迦様はこのことに気づいたと思うと本当に素晴らしいです。
それじゃ それじゃ またね
少年の瞳は汚れ
5時の鐘は鳴り響けども もう聞こえない
それじゃ それじゃ まるで
全部終わったみたいだね
大間違い 先は長い 忘れないから
歳を重ねるにつれて理不尽なことに触れていき、純粋な気持ちが薄れていくということを少年の瞳や5時の鐘が聞こえないという言葉を使って表しているのかなと思いました。
社会は理不尽と感じて諦めて、人に迷惑かけようが自分が楽しければいいやとか思って生きている人たちは大間違いで、死んだ後のあの世の方が本当の世界であれば、やってきたことは全部明かされてその精算はあるはずです。もちろんその精算が今生に起こるかもしれないし、あの世で行われるかもしれないし、生まれ変わりの世界で行われるのかはわかりませんが。自業自得。カルマってやつです。先は長い、忘れないってところは、こんな感じを表現しているのかなって私は感じました。
さてサビキマシタ
ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
あの傷は疼けど この渇きは癒えねど
もうどうでもいいの吹き飛ばそう
さわやかな風と帰ろう
やさしく降る雨と帰ろう
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に忘れよう
最初のサビでは苦しみの消し方について語られていると思います。
欲望(渇き)はもちろんのこと、誰かに何かされて負ったこころの傷でさえも、実は自分自身が作り出している物です。例えば相手から嫌な言葉浴びせされたりしても自分自身が反応して嫌な気持ちになるかどうかですからね。だからこそ人にかける言葉ってよく考えて大切にしないといけないと思います。こんなこと書いてるけど、私自身もまだ修行が足りていないので少し指摘されたくらいで嫌な気持ちになって、よく反芻を起こしてます。
憎み合いの果てはありません。憎しみが倍増していくだけです。この苦しみの連鎖を断ち切るには、苦しみは自分自身が作り出しているという原理を突き止めて相手を許してあげるってことだと思います。でも藤井風さんは謙虚で「許す」って言葉はおこがましいと感じて「忘れる」という言葉を使って表現したのではないのかなと思いました。
あなたは弱音を吐いて
わたしは未練こぼして
最後くらい神様でいさせて
だって これじゃ人間だ
わたしのいない世界を
上から眺めていても
何一つ 変わらず回るから
少し背中が軽くなった
ここの歌詞からも死ぬ側と残される側を感じ取れると思います。
それじゃ それじゃ またね
国道沿い前で別れ
続く町の喧騒 後目に一人行く
ください ください ばっかで
何もあげられなかったね
生きてきた 意味なんて わからないまま
生きている意味がわからずに、この世だけが全てだと思っている人たちの欲望のことを歌っていると思います。まあ、少しぐらいの欲望は生命を維持する上ではもちろん必要なことだと思いますが、苦しみのを生むような過剰な欲望は不要ですね。じゃあ、生きている意味ってなんなん??ってなりますよね笑。それはわたしのもう一つのブログの方を見てみてください。まっつの如来への道
最後です!
ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう
待ってるからさ、もう帰ろう
幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物 手放そう
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう
あぁ 今日からどう生きていこう
最後のサビでは初めのサビで説かれた苦しみの連鎖から逆に学んで、幸せの連鎖を歌っていると思います。憎しみが憎しみを生んで倍増するなら、逆にされたらいいことすればいんじゃね笑って感じで。
「与えられるものこそ 与えられたもの ありがとう、って胸をはろう」
この歌で特に素敵だなと思った部分です。
与えられる、何かしてあげたくなる利他的なこころ自体が与えられたものだと思っていて素敵だなと思います。
「幸せ絶えぬ場所」はこのような利他的なこころの持ち主がいる場所、またそのこころに触れて変われる人たちがいる場所のことなんでしょうね。
最後は歌を聴いてる人に問いかけるようなセリフで終わっています。
この歌は歌詞からだけでも優しさ溢れておりますが、メロディー自体も心地よく、優しさに包まれているような感じがするので、こころがあったかくなって不安が溶けて涙と一緒に出るような歌だと思います。
YouTubeのリンク貼っておいたので是非皆さんも聴いてみてください。
最後まで読んでくれてありがとうございました✨