こんにちは✋まっつです。
今回はUVERworldの「ピグマリオン」について語ってみたいと思います。
この曲名の「ピグマリオン」という言葉の意味を調べてみました。ギリシャ神話に登場する人物みたいです。この人物に由来するピグマリオン効果とかピグマリオンコンプレックスとか、いろいろあるみたいですが、この曲の歌詞から考えると、「ピグマリオン症」という言葉の意味が最も当てはまりそうです。私はそう感じました。
この「ピグマリオン症」というのは、
自分の説や価値観が正しいと信じ込み、事実よりも優先する症状
だそうです。
つまり自分の価値観のみで物事を捉えるということですかね?でもこれってよくあることですよね。会話の中で「ふつうはこうするでしょ」というセリフはしばしば聞きます。私自身も使ってしまいます笑。この「ふつう」っていう言葉は、とても曖昧だと思います。大勢の人が「ふつう」だと思うことが「ふつう」という風に思われがちだけど、その「ふつう」をふつうだと思わない人がいたら、その人にとっては「ふつう」では無いのです。今回紹介する「ピグマリオン」という曲は、こういう客観的かつ多視点的な解釈の必要性を語りかけている曲だなと、私は感じました。
それでは歌詞をみていきます😊
大切なことを考えてるとき
傍から見れば ボケっとしているだけに見えるかも
君を脅かして 飛んでいったあの虫は
寧ろ君を バケモノだと恐れていたのかも
自分は今考え事をしているから、周りからも考え事をしているように見えてるだろう。また虫にびっくりして驚いた自分から見ると、飛んでいった虫は自分を脅かした存在としか感じないでしょう。
これはまさに「ピグマリオン症」的な考え方です。
ぼーっとしている自分がいる場所の隣にもう1人の自分を召喚してみて、考え事をしている自分を眺めてみると、つまり客観視してみると、確かにぼーっとしてるだけに見えるかもしれません。
また飛んでいった虫の立場になって考えてみると、人間は虫のサイズの何倍もの大きさがあり、手で払われたり、足で踏み潰されたりしたら一撃で死んでしまうような驚異的な存在なわけです。私たち人間からすれば進撃の巨人のような存在です。そりゃあ恐ろしいですよね。そう考えると虫からしたら「やべぇ死ぬかも」という人間が驚いたことよりも、もっと大きな恐怖を感じているかもしれませんよね。
冒頭の歌詞では、相手の立場から見ると、自分は自分が思い描いているような自分とは、違う観え方をしているかもしれないということを喩え話で気づかせてくれていると思います。
相手の気持ちは分からない
抱きしめもせずに分かるはずがない
そりゃあ相手の気持ちはわからないですよ笑
だってその人自身ではないのですから。
泣いている間だけでも良いから
抱きしめてあげて欲しい それだけだったんじゃ無い
泣いている間だけでも良いから
離さないであげて それで愛し方を知るから
サビの部分ですが、「それだけだったんじゃ無い」ってところの「無い」がわざわざ漢字で書かれているのに意味があるのかなと思いました。曲で聞くと「〜だけだったんじゃない?」と話し言葉でよく使われるフレーズの意味だなと思ってました笑。この「ない?」の部分が「無い」になるだけで、全然意味が変わってきます。ここは日本語の難しさでありますが、このように言葉を音だけで見ると、いろんな表現が含まれており、それは受け取り手次第なのだなと、日本語の変幻自在さ、素晴らしさに気付かされました。次の歌詞の「離さないであげて」の部分も音で見てみると「話さないであげて」とも訳せます。この2つの意味を私なりに融合してみると、何も言わずただ寄り添ってあげている状態が浮かんできました。その人の気持ちはわからないし、わかられたくもないと思ってるかもしれない。でも何も言わずただ寄り添ってあげるだけの愛し方、接し方もあるのだよと。
憧れた人が 自ら命を絶った
あの人になれたら 幸せだけだと疑いもしなかった
誰があの国の偉い人になっても
どうしようもなくなって 核で脅すのかもしれない
そこに立たなきゃ分からない
悲しみも 痛みも 感じ方も 違うから
芸能人とか見て、かっこよくてモテモテだろうな〜、お金持ちで何も不自由してないんだろうな〜、なんて思うかもしれないですけど、それはそういうふうに勝手に見てるだけで、本人自身の心の状態なんてわからないですからね。ここで歌われてるように、その人の立場に立ってみないと分かるはずありません。もっと言ってしまえば、人それぞれの価値観やストレス耐性があることを考えると、同じ立場に立ったとしても、その人の本当の気持ちはわからないと思います。
付けられた傷は跡が残った
キャンパスは白に戻らなかった
君は変わった あの頃の方が好きだった
そう思った時は だいたい変わってたのは自分もだった
「付けられた傷は跡が残った」「キャンパスは白に戻らなかった」この2つの部分は、生きていく過程で作られた価値観のことを表現していると私は感じました。この価値観ってのは、心のキャンパスみたいなものだと思います。私たちはオギャーと産まれて赤子のうちは、お腹空いたり、眠かったり、オムツを変えて欲しかったりしたら「泣く」なんだかわからないけど楽しい時は「笑う」それは素直そのもので概念や価値観はほぼ無いように感じられます。だから本来は悪い人間なんて居ないんだと思います。しかし人間はいろんな体験をすることで、この価値観や概念というものが作られていきます。つまり心のキャンパスは傷つけられたり、色がついたりして歪んで現象を捉える事になります。現象や出来事というのは普遍的なもので、その現象、出来事が自分の傷や色のついたキャンパスに描かれる事で、その絵が良いか悪いか中立かを判断しています。生まれてきた環境、性格などが入り乱れて作られるキャンパスなので、当然人それぞれに違うキャンパスを持っています。つまりどう感じるかは人それぞれです。また、ここで歌われているように、以前好きだったものに興味が湧かなくなったりした時って「昔はよかったのになあ」と相手が変わったと思いがちですが、それって実は、自分自身の価値観が変わっただけっていう場合もあるよね、という客観的な視点で物事を見よう。というメッセージが込められていると感じました。
忘れずに居たいよ
友の言葉を
越えてきた夜を
これからの景色を
誰しもが誰かの大切な人ってこと
それだけを
それだけは
最後の部分です。
パンチラインはここだと思います。
誰しもが誰かの大切な人ってこと
確かにいろんな立場から観ることができればこう思えるかもしれませんね。
全ては尊いものだと思います。
もちろん「こんなのただの綺麗事だよ」と思う人も居ると思います。それはそれで良いと思います。でもこうやって相手の立場になって考えてみると、自分勝手な行動を取らずに利他の心で行動できるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊