まっつの歌詞考察ブログ

気になった歌の歌詞を勝手に考察していきます。あとたまにスピなお話も

UVERworld「哀しみはきっと」について語ってみた!

こんにちはまっつです✋

今回はUVERworldの「哀しみはきっと」という曲について語っていきたいと思います。

この曲は2019年に放送されていたTBS系列のドラマ「小公女セイラ」の主題歌となっていた曲です。

哀しみはきっと

哀しみはきっと

 

歌詞を見ていきます!

心だけは捨てないよ

これが終わりだとしても

誰にも思い出とか希望は奪えない

ここでいう「心」っていう言葉はどんな意味が込められているのでしょうかね??

「これが終わりだとしても」って自分が思う最悪の結末でも「自分(心)を見失わないように」って私には伝わりました。

 

手を重ねた時の温もりをイメージして

辛い時ほどほら 笑ってみせるよ

辛い時ほど強くみせるって本当に強くて優しい人しかできないですよね、

私はどちらかと言うと可哀想でしょアピール全開で、悲劇のヒロイン系に走ってしまいます笑

 

いつも僕は嫌な事一つで 良かった事全部忘れてしまいそうになるけど

少しずつ強くもなって 想いを 想いを

私的にここのフレーズはまさにそうですわ!ってかんじです。

嫌な事一つで全部ダメだあ、と思ってしまう典型的完璧主義思考!これ曲者なんですよね〜

 

立てない程の哀しみが 僕を選んだとしても誰かがこの運命のクジを背負うなら

僕は避けて生きるだけの人になりたくない

辛いのはわかってるけど

明日笑えるように

サビキマシタ!!

立てない程の哀しみなんて想像したくありませんよね💦

TAKUYA♾達はここですげぇこと歌ってますよ笑

誰かがこの立てなくなるような哀しみを受けてしまうなら逃げずに立ち向かうという優しく強い気持ちがひしひしと伝わってきます。

立てない程の哀しみでなくても、この現代の社会で生きる限りみんながやりたくない事はたくさんあるし、その役を担わないといけない人が必要なわけで、その役を自分が買って出れば辛いけど、人に押し付けてしまえば、その人は辛いと感じるかもしれないし、感じないかもしれないけど、少なくとも押し付けた自分が辛いと思う役目ならばその人は罪悪感を感じてしまうと思います。(※相手の気持ちをわかろうとする人なら)

だから大袈裟だけど、この「立てなくなる程の運命」を人に押し付けてしまえば、この罪悪感がある故に心の底からよかった!と思えないと思います。つまりこの歌詞の言葉を借りると明日笑えないということ、

だから実は相手を思いやることは自分を思いやることでもあるってことなんだな!と感じました。

 

運命のこよりは 巡るゲームのように

振られたサイにほら 人は当てられた運命(みち)辿っていく

この目に映る全ての物は 奪われたら無くしたりするけど

君がくれた言葉だけは 誰にも奪えない

「運命は決まってる」と言っているように思える歌詞ですが、たとえ運命で決まっていることが起こったとしても、考え方次第で幸か不幸かは自分次第だと思います。

UVERworldの他の楽曲であるCORE PRIDEの歌詞の中に

もうどうなったって良い 格好悪くたっていい

死にものぐるいで未来を変えてやる

どうしたって変えれない運命だといわれても

まだ俺は変われる

自分で変えてみせる

と言ったフレーズがあります。

この部分私大好きなのですが、運命、その現象自体は変えられなかったとしても、その現象を解釈する自分自身は変えられる!全ては自分次第!ということです。

おっと少し脱線してしまいました💦

次行きます!

 

何も見えない暗闇の愛が消えた夜には

眠りにつく前に君を思い出す

明日君と一緒にみた 雲を探しに行こう

無理なのもわかってるけど 

今日よりちょっとは進むために

無理なのもわかってるけど、ってところなんかUVERworldらしさを感じます。

1日1ミリでもいいし、時にはマイナス1ミリの日もあっても自分という人生が終わるまでに、今より進めていればいいんじゃないかなと思いたいです。そう強く思えるこころでありたいです。

 

素敵なものにでも どんなに辛くても

いちいち憂いていられない時代で

楽は直ぐ過ぎ去り 辛い時の方が永く

感じる嫌な相対性理論の中で過ごす

時間って平等に与えられているようで、実はとても曖昧なものなんですよね、だって人によって感じ方違うし、その時間はその人にしか体感できないし、いま目の前に見えている映像も光の速さが有限であるがために、視覚では過去しかとらえることはできていませんからね。

 

空を眺め ゆっくりと浮かぶ はぐれ雲を見て

いつかの僕みたいだね 君の声探してる

サヨナラは言わないことにしよう これが終わりだとしても

自分でさえ希望とか心とかって奪えない

一日が終わり眠る前に 明日会えるかな

とか無理なのもわかってるけど 愛の住む心のど真ん中は誰にも奪えないから

明日笑って迎えるために

愛ってなんでしょうね。私はこの歌詞を見てこう思いました。

他人を本当の自分のことと同じように思えて行動できること、

同じように思えてっていうか本当は同じなんですけどね。

だから自分を愛すことは相手を愛すことでもあり、その逆もまた同じだと思います。

自分を可愛がるのと相手にしてあげた事に対して見返りを求めてしまうのは、愛するとは言えません。

 

ふわふわ はぐれ雲をが僕の憂鬱とともに流れていく

同じ雲に また誰かが「自分みたい、、、」って重ねるのだろう

この歌詞の中の「僕」が重ね合わせた雲がまたどこかの別の人がその雲を自分みたいと重ね合わせるという情景から、この曲を聴いている人達に君と同じように思っている人もいるよ、1人じゃないよと優しいメッセージを伝えてくれているのかなと感じました。

 

この曲はなんか健気にがんばっている人を優しく励ましてくれるような歌でとても好きです。私も寂しいけど前向きになりたい時によく聞きます。

最後まで読んでいただきありがとうございます。そんなあなたに幸あれ✨