まっつの歌詞考察ブログ

気になった歌の歌詞を勝手に考察していきます。あとたまにスピなお話も

「貧乏なんて気にしない」kohh について語ってみた

今回紹介したいのはラッパのkohhさんの「貧乏なんて気にしない」です。

貧乏なんて気にしない

貧乏なんて気にしない

  • KOHH
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥204

 

MONOCHROME

MONOCHROME

  • アーティスト:KOHH
  • 発売日: 2014/07/30
  • メディア: CD
 

 

私にわかなんですけど、このkohhさんの作品はぶっ飛んだリリック(歌詞)が多いです。素直すぎて笑

あと家庭環境は過酷だったようです。

 

早速歌詞を見ていきましょう。

貧乏なんて気にしない

目の前にお金がなくても幸せなことがいっぱいあるから大丈夫

素敵なこと言ってますよね✨

「お金があることが幸せではない」と。

たしかにお金があれば大概の欲は満たせます。しかし、この幸せは瞬発的なものでしかなく、実際は何もないです。体からすり抜けてくだけです。すり抜けてまた欲(苦しみ)が生まれます。

ここで言う幸せは、ご飯を食べれたり、友人と話せたり、休日にゆっくりコーヒーでも飲みながらまったりできたり、当たり前にやれていることを言っていると思います。でもそれに気づけないことが多いですよね。私もそうでした。人間は無くなってからしか気づけないことが多いですからね。

続いてこちら

大金持ちでも心の中が貧乏じゃ意味ない

何かあったらいい友達が助けてくれたり

大金持ちでも心の中が貧乏ってのは、要するにケチってことですね。心が貧乏な人を快く助けたいと思う人は、なかなかいないと思います。

自分が満たされていないから人に与えられない。しかし人に与えられなければ、自分も満たされることはないでしょう。

ありがとう ごめんなさい

って言うより行動が大事

私はここの歌詞にすごい共感できました。

何かをしてもらった時、してしまった時、当たり前ですが、ありがとう、ごめんなさいっていう言葉を伝えるのはとても大事なことです。でもやはり、行動で示して相手に感謝や反省を感じてもらわないと意味がないと思います。

そうでないと口だけやろうになってしまいますからね。笑

何もないところからここまで来たのも自分次第

でも周りの人たちがいなけりゃ俺もここにいない

今の自分を作り上げたのは、努力した自分自身だけど、周りの人の助けもあってからこその自分な訳で、ここの歌詞では自分以外の人達にも感謝が必要だと伝えています。

「類は友を呼ぶ」ということわざがあります。今自分の周りにいる人たちは、自分の波長(性格や考え方など)が合う人たちが集まるようになっています。なので結局自分自身がポジティブ(良い波長)になれば自然と周りの人も自分にとって良い人達になっていったり、そう見えてきたりするわけです。相手を変えたければ、まず自分が変わらなければならないのです。

昔からみんなよく言ってるお金よりも愛

わからない

お金よりも愛。すげぇ綺麗事に聞こえると思うんですけど、これ意外と響きませんか笑??よくお金で愛も買えるって言いますけど、そんなの愛じゃないですからね笑。愛という言葉はいろんな意味で使われますけど、私は相手のために尽くすことが愛だと思っています。もちろん見返りを求めずにね。ワンネスとか自業自得っていう概念から見ると人に何かしてあげることは、一見相手にしてることですが、結局は自分にしてることと同じなんですけどね。

やっぱり将来は高級車にも乗りたい

真っ白なベントレーに乗っても初心忘れない

ここの歌詞では、kohhさんの素直さと謙虚さが伺えて好きです笑。私も車大好きなので、スポーツカーとかスーパーカーに乗りたいです笑。

俺たちは貧乏な億万長者笑っている毎日

働いて稼いだ金を自由に使って

買いたいものを買ったら誰かにあげたい

もらったらお返しをするズルい損得はいらない

今でも最高なのにもっと超最高な未来

貧乏な億万長者ってどゆこと?って感じですが、お金はなくて貧乏でも、ポジティブな考え方であらゆる現象を幸せと感じることのできる心の中の豊かさや器の大きさを億万長者という言葉で比喩してます。ここは解説なくてもここはわかりやすいか笑。自分の時間を使って稼いだお金で誰かにものをあげたい、人から何かもらったり、何かしてもらったりした時はしっかりお返しをする。これ当たり前だけど、なかなか思うのはむづかしいですよね。お金がなくてもこう思えるのは、やっぱり心の中が億万長者(豊か)でないとできないことです。こんなこと偉そうに書いている私もポジティブな考え方の引き出しが少なく、ポジティブな考えが浮かんでも腑に落とせず、たまに損得感情がよぎることあります笑。心の中はまだまだ億万長者ではありません。もっともっと修行して心の中を億万長者にして超最高な未来を映し出せるよう努力していきましょう!

 

最後まで読んでくださりありがとうございます!

あなたに幸あれ✨

UVERworld「AS ONE」の歌詞について考えてみた

今回は映画「仮面病棟」主題歌でもあるUVERworldの「AS ONE」の歌詞を私なりの解釈で語っていきたいと思います。

AS ONE

AS ONE

「AS ONE」とは日本語に訳すと「一つ、一体となって」となります。

私の独断の解釈ですが、この歌は何を歌っているかというと、

この世にいいも悪いも無い

って言うことを歌っていると思います。

 

さて歌詞を見てみましょ

正しさがあるから ダメになるものも

この光も闇も愛も

AS ONE

二元性のことを言っています。

二元性って言うのは

例えば

  • 善と悪
  • 光と闇
  • 暑いと寒い

と言ったように相反するものを言います。

闇がなければ光は存在できません。

このように、二元性と呼ばれるものは、片方がいないともう片方の存在を証明できないものです。

今の社会もこの二元性で成り立っています。

 

次のフレーズはこちらです。

善人が容易く悪人に

善人が容易く悪人に??

どゆこと??って思う人もいるかもしれません。

今の社会で「人を殺すことは、悪いことだと思いますか?」と質問したらほとんどの人が悪いことだと答えるでしょう。

法律で罰せられます。

しかし、戦争をしている時代では相手の軍人を殺せば英雄と称されます。

これって時代の違い、周り思想で善人が容易く悪人になっていますよね。

極端ですが、こうして考えると良いも悪いも決めるのは、その考え方自体で行為そのものには、何の意味もない事になります。

コインの表と裏みたいなものです。

表と裏では絵柄は違うものの、コインというものは1つです。表側を見るか裏側を見るかは人それぞれなのです。

だから「普通は」とか無いんです。

俗に言う「普通」というものは、周りが作り上げた賛成の多い意見とか、概念があるだけで、それが万人にとって必ずしもいいものでは無いのです。

でも、会話の中で「普通は」って言葉よく使いますけどね笑

 

最後にサビの部分

陰と陽も そう虚も実

善悪も生まれは同じ

此処から先は そこに馴染むか?

それを変えていくか?

さっきも言いましたが、

周りの情報や概念に惑わされているだけで本当はいいも悪いも無く、全てはただ1つの現象です。

今まで通りに作られた二元性の中で、生きていくか、それとも起こったこと全て1つの現象に捉え自分でポジティブな方向に考えられるかで、この先の世界を生きれるかどうかが変わっていくと思います。

歌詞の中でも

「信じがたい悲劇、刺激的な狂気も容易く起こる日々に」とTAKUYA∞は予言してますが、

AIの発達などで雇用が減り、今ある概念とか社会のシステムが崩壊して本当にそうなるかもしれません。

技術革新により職が無くなり、一部のホワイトカラーを除いて、相対的な収入は下がっていきます。しかし、最低限の生活レベルが底上げされるはずです。収入の差は開くと思いますが、収入が減っても満足できる社会になると思います。

だからこの「信じがたい悲劇」も「刺激的な狂気」も見方を変えれば望ましいことなのかもしれませんね。

 

まとめです。

この世の現象にいいも悪いも無く、全ては1つの現象です。

人間がその現象を勝手に判断しているだけです。

だからこの歌を聞いて、どんな現象でもポジティブに捉えて生きることが大切だと思いました!

でも人間は欲深い生き物で、

  • 美味しい高級食品を食べたい
  • 高級車に乗りたい
  • 彼女が欲しい

この欲望達がポジティブな考えを邪魔してきますよね。

そこでポジティブな考えをするポイントを2つ紹介します。

  1. 他人と比べるのをやめる
  2. 今の環境に感謝する

1つ目の他人と比較する考え方は、自分に劣等感を与えてしまう場合があります。

比較というのは苦しみを生む根源だと思っています。

例えば

あの人には彼女がいるけど、

自分には彼女がいない、

カップルを見て「悔しい」とか「羨ましい」など思っては負けです。

もちろんその悔しさが行動力に火をつけるのであれば別ですが、そのまま自分に劣等感を与えてしまう場合は、よくありません。

だからたとえ自分に恋人が居なくてもカップルを見たら「ああ、幸せそうで素敵だな✨」と無理やりでもいいから思ってみてください笑

そうすることで、今の自分をしっかり愛してあげることができます。

むづかしいんですよね、、

私もまだまだできてないです汗

 

2つ目の今の環境に感謝するってことは、とても大切でそう思えることは、とても幸せなことです。

これがまたむづかしいんです!

だって当たり前が幸せって感じづらくないですか?

奥さん、お母さんにご飯を作ってもらって、毎回ありがとうと感謝を伝えている人は少ないと思います。

こうやって毎日ご飯を食べられたり、好きな時に飲み物を飲めたりするのって、実はすごい幸せなことなんですよね。

人間は無くなってからしか気付けないことが多いです。

だから感謝すべき人、事には都度、感謝の気持ちを伝えるほうがいいです。

明日も同じように自分のそばに居てくれるとは限りませんからね。

 

ポジティブな考えを出すのは簡単ですが、その考えに納得するのはとても難しいですよね、、

でもちょっとでもいい方に思えるように、日々ポジティブに努力していきたいですね!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました✨

 

AS ONE

AS ONE

  • 発売日: 2020/03/04
  • メディア: MP3 ダウンロード
 
AS ONE(通常盤)(特典なし)

AS ONE(通常盤)(特典なし)

  • アーティスト:UVERworld
  • 発売日: 2020/03/04
  • メディア: CD
 

 



 

UVERworld「一滴の影響」

今回はUVERworldの「一滴の影響」について語っていきたいと思います。

 

 

一滴の影響

一滴の影響

  • アーティスト:UVERworld
  • 出版社/メーカー: Sony Music Labels Inc.
  • 発売日: 2017/02/01
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

一滴の影響

一滴の影響

 

まずはこのフレーズ

真面目に生きていればいつか報われる

そうやって言い切ってしまえば

それは嘘になる

身に起こるその数十パーセント

自業自得でも

残りの数パーセント

誰のせいでもない不平等

 

努力しても叶わない人だっている。

身に覚えのない運命に苦しまされている。

綺麗事なしの悲しい現実を歌っています。

この「身に覚えのない運命」っていうのは、

前世のカルマだったり、ご先祖様のカルマを引き継いでいるのということではないのかなと私は思います。

「カルマ」というのは「業」のことです。

「業」って何??ってなった方はググるか、

こちらの記事をどうぞ

この世は自業自得? - まっつのスピリチュアル妄想

 

次はサビの部分になります。

 

許せば進めるし

恨みは立ち止まらす

 

なにが進めて、なにが立ち止まってしまうのかというと「自分の成長」またスピリチュアル的な観点から考えると「カルマの解消」のことも該当するのではないかと思います。

 

まず「自分の成長」について考えてみます。

 

人は何かに挑戦して失敗してしまうと、原因を探して何かのせいにします。

それは他人だったり、自分だったりです。

 

「あいつのせいでうまくいかなかったんだ!」と他人の恨むと自分の責任ではないと思っているので、自分の成長、スキルアップには繋がりません。

 

逆に自分のせいにするのは、私は悪いことだとは思いません。

もちろん失敗した自分を許して、次の挑戦につなげられる場合の話です。

 

「ああ、いつも自分はダメだ、なんでいつもネガティブな考えをしてしまうんだ」と自分のせいにしすぎてしまうのは良くないことです。

 

歌詞の途中でTAKUYA∞もこう歌っています。

 

1番いけないことはさ

自分をダメだとおもうこと

 

自分をダメだと決めつけてしまうと、自分に自身が持てなくなって、何もかも嫌になってしまい、生きるのが辛くなってしまいますからね。

 

自分で自分を呪ってしまうのは、1番いけないことです。

 

 

2つ目の「カルマの解消」について考えてみます。

 

ご先祖様から引き継いだカルマ、また自分のカルマ解消するには、許すことが必要です。

つまりです。

私はカルマを断ち切るのに、必要なのは愛だと思っています。

自業自得やってきたことは返ってきます。

それは今の自分、来世の自分、子孫どの人に来るかはわかりません。

された事に対してお互い憎しみ続けていたらそのループは永遠に続きます。

このループを断ち切るには、片方が慈悲の心を学び憎しみではなく、愛(許し)を与えることが重要です。

 

つまり歌詞通り

許せば進めるし

恨みは立ち止まらす

です。

 

サビの部分を「自分の成長」、「カルマの解消」の2つこじつけて説明しましたが、簡単に言うと「相手も自分もどっちも愛せ」っていうことだと思います笑

 

 

次のフレーズはこちら

 

満たされすぎているか 全く足りないか

どちらにせよ幸か不幸かは感じ方次第

 

まさにその通りですよね。

起きた現象をいかにポジティブに捉えられるかです。

幸せに思えることが幸せなんだと思います。

 

お金がたくさんあったって、心が満たされてない人は不幸ですからね。

お金持ちでも心が貧乏じゃあ意味ないってことです。

 

まあ、私もこんなこと書いてるけど、お金欲しいって思っちゃいますけどね笑

 

続いてはこちら

 

バタフライ蝶がはばたく

裏で起こす台風

一滴の潮騒は彼方を闇に包む

 

蝶が羽ばたき繰り出す風が、どこかで台風を起こしているかもしれない。

ここはバタフライ効果についてのことを歌っています。

バタフライ効果ってなに?って感じになると思いますが、これは「ほんの些細な現象やアクションでも、行く末の大きな結果につながっているかもしれない」という考え方のことを言うみたいです。

 

そして最後は私が一番好きなところです!

 

ずるいやつが笑う世界

そう言いながら物事が

ゆっくりでも良い方に進むと信じ今日も

正しく生きようとする君は素敵だよ

そんな自分を君も愛してあげてよ

 

歌の最後の歌詞聞いて私泣きました笑

なんか自分のことを肯定してくれてるような気がしたからです。

 

みんな毎日社会に苦しみながらがんばっています。

たとえ結果が出ていなくても数センチ、1ミリでもいいから前に進んでいることを信じて生きることが大事なんですね。

 

この歌を聞いて学んだことは、ズバリ!

愛すことの大切さ

です。

 

こんなこと書いてるけど私自身、自分を愛すことができるにはまだ時間がかかりそうです。

でも失敗した時は、自分を許してあげられるようになるチャンスだと思いながら生きていくようにしています。

 

この記事を見て、少しでもポジティブな気持ちになれた人がいたら私はとても幸せです!!

 

そして最後まで読んでくださった方

ありがとうございます!

あなたに幸あれ!

 

ペットたちが飼い主を待ってる虹の橋

みなさん“虹の橋“って言う場所を知っていますか??

元のネタは作者不明の散文詩です。

 

この「虹の橋」って言う場所は、天国の手前にある場所らしく、生前この世にいる誰かに可愛がられていたり、愛されていたりしていた動物が死ぬと辿り着く場所みたいです。

 

そこには草原が広がり、水と食料が用意されていて暖かい場所のようです。

そこにたどり着いた動物たちは、生前抱えていた病気や怪我、老いまでも回復して元気に遊び回っているそうです。

しかし、ひとつだけ不満があるそうで、それは飼い主さんがいないことです。

飼い主さんを待つための場所が「虹の橋」と言う場所みたいです。

 

今回はこの虹の橋についてお話ししたいと思います。

 

私の母は動物が好きで、街の野良猫ちゃんたちを可愛がったり、保護猫会の人のお仕事を手伝ったりしています。

 

補足ですが、この保護猫会はただ野良猫ちゃんたちに餌を与えて好き勝手に可愛がっているわけではなく、野良猫がこれ以上増えないように去勢・避妊手術に連れて行くことを目的として活動しています。

 

話を戻します!

街の野良猫ちゃんの中で、特にみんなから可愛がられていた「しろちゃん」って言う白い雌猫がいました。このしろちゃんは野良猫ちゃんの中でも歳をとっていて、しろちゃんがご飯を食べている最中に他の猫ちゃんが来るとその猫ちゃんにご飯を譲ってあげちゃうとても優しいボス的な存在でした。

 

またこのしろちゃんは肝が座っていて、大きな犬が来ても動じずに、そのワンちゃんの方をビビらしてしまうような、何かパワーを持っている猫ちゃんでした。

 

でもこのみんなから可愛がられていたしろちゃんも母親が出会ってから4年目の冬に老衰で死んでしまいました。

 

そのしろちゃんが亡くなってから2日後の夜寝ている時、母親は金縛りのような感覚に陥ったそうです。

 

しかしいつもの金縛りは、嫌な音が鳴ったり、風が吹いたりと怖いイメージがあるのに対し、じんわりあったかくとても心地の良い気持ちだった!と言っています。

 

母親が見た情景はパステルカラーのような淡い光の球がたくさん浮いていて、その中にしろちゃん1匹と猫のシルエットが何匹かいて、しろちゃんだけ上に登って行ったそうです。

f:id:matsu5858:20200129235204j:image

絵で書くとこんな感じです。

ちなみに真ん中の猫がしろちゃんらしいです。

母親はこの情景を見るまで、虹の橋についての話は全く知らなかったそうです。

 

しろちゃんはこの絵のような虹の橋を登って、自然いっぱいの場所で、可愛がってくれた人たちのことを待ってるのだと思います。 

 

きっと虹の橋は本当にあると思います。

 

ペットって人間たちを癒してくれる存在ですよね。仕事終わって疲れている時とかに無性にかわいたがりたくなったり、落ち込んでいる時とかには、何も言わずにそばに居てくれて、人に同情されるよりもずっと心が安らぎませんか??笑

 

今回はそんなかけがえのない家族であるペットを亡くされた方にちょっとでも希望が持てるようなお話しでした。 

 

 

 

 

 

UVERworld「OXYMORON」について語ってみた!

私は「UVERworld」というロックバンドが大好きです。

 

今日はUVERworldのアルバム「UNSER」の中に入っている「OXYMORON」と言う歌がとても素敵だったので、紹介したいと思います

 

UNSER (通常盤) (特典なし)

UNSER (通常盤) (特典なし)

  • アーティスト:UVERworld
  • 出版社/メーカー: SMR
  • 発売日: 2019/12/04
  • メディア: CD
 

 

「OXYMORON」iTunes

OXYMORON

OXYMORON

 

 

この曲名の「OXYMORON」と言う言葉の意味ですが、日本語では撞着語法と呼び、2つの矛盾する言葉をつなぎ合わせ言葉に深みを持たせる技法のことを言うみたいです。

 

例えば「デリカシーのない紳士」とか「小さな巨人」とかです。

 

この歌の歌詞で心に響いたフレーズを抜粋して語りたいと思います。でも全部良すぎて、ほぼ全部になっちゃいます笑。

 

“最後に残るのは、集めてきたものじゃなく、与えてきたもの、自分以外のために

 

ここのフレーズは本質を突いていると思うんですよね。この“集めてきたもの“っていうのは、お金とか資産のことを言っているのではないかと思います。お金も資産も死んだらきっと、あの世に持っていけませんからね笑。

まあ、遺族には感謝されるでしょうけど笑。

 

一方“与えてきたもの、自分以外のためにのところは、まさに無償の愛のことで「」のことを言っているのだなと感じました。この徳を積むと魂の成長につながったり、来世の運勢を良くするための貯金的なことができると私は解釈しています。

「そもそも徳を積むってなに?」って感じですよね笑。簡単に言えば世のため人のために良いことを行うことが「徳を積む」ということです。

 

自分のために頑張れるのも当たり前じゃなくて、すごいことだと思いますけど、やっぱり自分以外の人を想って、何かしてあげたり、人のために努力することは本当に素敵なことだと思います!

そして何かをしたあげたくなるような人や、「この人のために頑張りたい!」と想ってもらえるような人はとても幸せだと思います。

きっとそう想われて慕われる人は、その人自身も人のために尽くせる人なんでしょうね✨

だから自分がされたいことがあるなら、まずは他人に与えろ!ってことです。もちろん期待は持たずにね。また、やられて嫌なことは人にするなってことです。

自分が変わって周りの環境が変わっていくことはあっても、自分が変わらず、まわりが勝手に変わっていくっていうのはあまりないと思いますからね✨

 

次のフレーズはこちら

“本当の正しさって、必ずしも賛成が多いわけではない。“

 

人はひとりひとりに自分の正義を持ってて、それが多くの人と共感できなければ、正しくないって言うのは、たしかにおかしいと思います。

職場では上司、学校などでは、カーストが高い人の言ったことが優先されがちで、自分の想いを殺している人は沢山いると思います。

なぜなら昇進に響いたり、仲間外れにされたり、とリスクがありますからね。

みんなが「人はそれぞれの考え方がある!」って理解できれば、そんなリスクを考えずに、自由に想いを伝えられるだろうと私はいつも思います。

もちろんその人それぞれの考え方に共感する必要はないと思います。そういう考え方をする人もいるんだな、と理解することが大切です。

なので意見を聞くときは、否定から入らず、まずは理解することが大事です。

「わかるよ〜あるよなあ〜♪」って感じでね笑笑。

 

 

続いてこちら

“迷わないこと 恐れないこと 間違わないことが強さではない“

 

判断力があって迷わない人。

度胸があって恐れない人。

正確さがあって間違わない人。

どの人も強いです。

でも「迷わない」「恐れない」「間違わない」

だけが強さではないことをここのフレーズでは伝えたいのだと思います。

 

いつも一生懸命迷いながら判断している人。

臆病だけど恐怖に立ち向かっている人。

間違わないように、何回も確認する人。

この人たちも強いです。

苦手、不得意、弱いながらも立ち向かっていくという気持ちが強いってことです。

 

私が憧れるのは前者ですが、素敵だなと思うのは後者です。

 

次はこちら

“知った悲しみと 持つ優しさは比例していたい 同じものを見て違うことを感じる

正しさなんてない“

 

ここでは辛い思いをしてきた分、他の人にはそんな思いをさせたくない、というとても優しく強い気持ちが伝わってきました。

あと正しさなんてないと言っています。

確かに音楽とか絵画を見たりして感じ取るものは人それぞれ違いますもんね。正解もクソもないです。

 

最後はこちら

“生きている間に生まれ変われ“

カッコいいですよね!!

でも生まれ変わるにはやっぱり苦手なことに果敢に挑戦していかないと行けないんだろうな、、、

 

この歌の歌詞は題名の通り、矛盾した歌詞が多いです。

まあ、もともとUVERworldの歌詞は矛盾したフレーズが多いんですけどね!

 

この歌では正解なんてないと言ってます。

たしかに、世の中は周りの目が正解、不正解、良い、悪いを作り出してしまっているだけで、正解はないと思います。

 

相手の為に生きることは、自分の為に生きていることにもなるのかな、と思いました。

それってとても素敵だなあ✨

 

 

意識がメールを飛ばした!?減量中に起きた不思議体験!

今回は、減量中に起きた「送った覚えのないメールが相手に届く」という不思議な体験について書いてみました。

私は趣味で総合格闘技をやっています。

スポーツ経歴は
・小学校→ミニバスケット
・中学校→陸上部(走り幅跳び
・高校→陸上部(短距離)/総合格闘技
・大学→総合格闘技

ってな感じです。

総合格闘技は高校1年生の終わりから始めてます。

高校の陸上部のころ、私は練習で足の怪我が多く、走るのがメインの競技なのに、筋トレ漬けの日々でした笑笑

しかしその結果、そこそこマッチョになってきて、自分の身体に自信を持ち始めて、この筋肉を最大に生かしたい!強さを証明したい!と思ったのが格闘技を始めたきっかけです。

中でも総合格闘技は、あらゆる格闘技の技術をミックスした格闘技、言わば最強の格闘技なので、これで強けりゃ文句ないだろ!と思いました。

この総合格闘技にはプロとアマチュアがあり、階級制で試合を組みます。

プロとアマチュアには当たり前ですが、ルールの違いがあります。

プロルールでは、パウンドというグラウンド状態でのパンチによる打撃攻撃が認めらています。(簡単に言うと相手の馬乗りになって殴れるということです笑笑)
また階級制の競技なので計量があります。
計量のタイミングは試合直前ではなく、リカバリー期間を設けるために試合の前日に行われます。またアマチュアと比べるとラウンド数、1ラウンドの時間が多いです。

一方アマチュアルールでは、パウンドが認められず、ヘッドギア、レガース(すね当て)着用して試合をします。
計量は試合当日の計量になり、リカバリー期間がないためプロルールよりも厳しいです。
ゆえにアマチュア選手でプロを目指している人は、実際プロでやる階級よりも1つ上の階級で試合をやることが多いです。

当時、私は身長が167cmで体重が68kgほどで、試合をする場合65kgか61.2kgの階級のどちらかでした。65kgの階級だと身長、骨格共に不利になってしまうため減量し、61.2kgの階級で試合に出ていました。

初めて試合に出させてもらうとき、計量にビビリすぎて、試合前は格闘技の練習に加え、糖質制限&夜中3時ごろまでランニングなどをしていました笑笑
すると体重はみるみる落ちていき、2週間で68kgから63kg台まで減量できました。

しかし、調子に乗って糖質制限&深夜のランニングを続けているとエネルギーも底をつき、頭がボーッとしてまともに練習できない状態になってしまいました。

大学の授業でもボーッとして頭に内容が入らず、手を挙げたり、声を出すことさえも億劫になるくらい衰弱してました、

そんな減量中のある時、母親にメールしておかしなメールが返ってきたことがあったんです。

私→「バッグに速攻元気(栄養ゼリーみたいなやつ)入れてくれた??」

母親→「死なないでください笑、ごめーん入れ忘れた」

大学生にもなって自分の荷物、親に用意してもらってんなよ!っていうツッコミは置いておいて、この私のメールに対して、母親の「死なないでください笑」ってところの文はおかしいですよね。

その頃は頭も良く働かずボーッとしている毎日だったので、お母さん何言ってんだ?くらいにしか思わず、帰宅後にはそのメールの事は忘れていました。

そんなこんなで体調が戻らないまま迎えた試合当日、計量はクリアしましたが、試合は全く動けず判定負けの結果に終わってしまいました。
後から思ったんですが、私は試合中の不利な状況でも「これが終われば甘いものが食べれる!」ということばかり考えていたので、その時点で負けてたんだなあと思いました笑笑

ここからが本題です。
試合が終わってから数ヶ月たち、暇だから原付でぷらぷら出かけに行こうと思ったある時、ふとあの時のおかしなメールを思い出し、母親に聞いてみたんです。

すると私から「しぬかもしれない」いう文が送られてきたと言うのです。
そこで母親のメールボックス確認してみると
そんなメールはありませんでした。

私は減量中イライラしてて母親に迷惑をかけていたので、疲れて見間違いでもしたのだろうと思いました。
しかし、弟もそのメールを見たというのです。私も家族が2人も見ているので本当にそのメールを見たんだなと思いました。

ここで本当にメールが届いたと仮定して、なぜ「しぬかもしれない」という文が送られてきたのか、考察(妄想)してみたいと思います。

  1. 糖質制限などで精神的、肉体的にも追い込まれていて、潜在意識が危機的な状況をメールという形で発信して、助けを求めていた。
  2. 未来の危険を知らせるための予知メール


私が考察した結果この2つが挙げられました。

1.は書いてある通りで、助けてほしい、つらいという想いがメールという形で母親に伝わったという考えです。
あと「しぬかもしれない」って全部ひらがなできたみたいですが、漢字で送る場合は、画数が多いから、飛ばすのにエネルギーを多く使うのかな?なんてことも思ったりしました笑笑

2.は出かけるタイミングでこのおかしなメールを思い出したことに意味があると思ったからです。メールの文が「しぬかもしれない」と現在又は未来を表しているので、この後外に出て事故などを起こし、そのまま死ぬという未来を警告してくれたという考えです。
警告してくれたのは自分自身なのか、ご先祖様なのかはわかりませんが、感謝しています!!

その日は、2.の考察が直感的に正しいと思ったので、出かけるのをやめました。
出かけてたら原付で事故ってたかもしれませんね笑笑

不思議な体験でしたが全く恐怖は感じず、こんなこと本当にあるんだ!というワクワクした気持ちと誰かが助けてくれたのかな?という感謝の気持ちを感じました。
(母親は怖がって泣いてました笑)

皆さんはこの不思議な現象についてどう思いましたか??

この不思議な現象についてほかの見解がある方、同じような体験をした方、コメントお待ちしております!